古賀春江資料室

洋画家・古賀春江(1895-1933)のデータベースを制作中です。

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凡例とカテゴリの説明

◯凡例

1.古賀春江が生前に発表した詩や文章を入力するにあたり、以下の文献を底本としました。

●古川智次編 古賀春江文集『写実と空想』(中央公論美術出版) 1984年10月20日発行(初版)

上記の文献の「あとがき」(編者による)には「編集にあたっては、原文を尊重することにし、明らかな誤字・脱字には正しい文字を添え、若干の難字にはルビを付した。」との但し書きが記されていますが、ブログの形式では底本を完璧に再現するのは困難なので、当ブログでは底本をなるべく正確に入力するために以下の体裁を採りました。

 誤字例  広々とした田甫の〔#「甫」の横に「圃」〕中に
      不思議な情奇の〔#「情奇」に「ママ」の注記〕虜となる
 脱字例  凍るばかりの水の中へ丸裸〔を〕浸すのである
 ルビ例  その心算《つもり》で見て欲しい
      周囲が又│恁那《こんな》│風ですから

くの字点は「/\」で、濁点付きくの字点は「/″\」で、傍点の付いた文字は太字で表しました。
また、今日の人権意識に照らして不適切と思われる語句・表現については、時代的背景と作品価値を鑑み、文学作品の原文を尊重する立場からそのままとしました。
初出データに関しては以下の文献を参照しました。

●図録『新しい神話がはじまる。古賀春江の全貌』(2010年、東京新聞)所収「主要文献」(石橋美術館、神奈川県立近代美術館編)

2.「作品目録」の各項目は、タイトル、制作年、技法・材質、寸法(タテ×ヨコ)の順に記載しました。寸法の単位は(cm)ですが、文中では省略しました。また、画家の生前に展覧会に出品された作品については、初出の展覧会名を記載しました。
「作品目録」を作成するにあたり、主に以下の文献・ウェブサイトを参照しました。

●図録『新しい神話がはじまる。古賀春江の全貌』(東京新聞) 2010年発行
●図録『詩情と幻想の世界 古賀春江回顧展―生誕80周年記念―』(福岡県文化会館) 1975年11月8日発行
●図録『古賀春江資料展』(北九州市立美術館) 1976年6月26日発行
●図録『古賀春江 創作の原点 作品と資料でさぐる』(ブリヂストン美術館、石橋美術館) 2001年発行
●古川智次編『近代の美術 第36号 古賀春江』(至文堂) 1976年9月1日発行(初版)
独立行政法人国立美術館 所蔵作品総合目録検索システム http://search.artmuseums.go.jp/

3.「作品の紹介」の各項目は、タイトル、タイトルの英訳(不明の場合は省略)、制作年、技法・材質、寸法(タテ×ヨコ)、所蔵者名、展覧会歴、出典の順に記載しました。「展覧会歴」にあげた展覧会は原則として初出展、個展および古賀春江の作品が相当数出品された展覧会に限りました。記載事項は開催年、展覧会名、会場、出品番号の順です。なお、作品の図版はサムネイル表示であり、クリックすると拡大された図版が表示されます。

◯カテゴリの説明

「未分類」 どこに分類していいか判らなかった記事を掲載しております。
「詩」 古賀春江が生前に雑誌で発表した詩、または没後に詩画集『古賀春江』(春鳥会、1934年)に初めて収録された詩が掲載されています。
「解題詩」 『古賀春江畫集』(第一書房、1931年)に収録された絵の解題詩が掲載されています。
「評論・随筆等」 古賀春江が生前、雑誌に発表した評論や随筆、その他雑文が掲載されています。
「書簡」 古賀春江が他者に宛てた葉書・手紙の文面が掲載されています。
「作品の紹介」 当ブログのメインコンテンツです。現存する古賀春江の絵画作品の図版を可能な限り掲載してカタログレゾネを制作する予定です。
「作品の紹介(参考)」 古賀春江の絵画作品のうち戦争による混乱などで行方不明のもの、または、古賀春江作とされていても偽作の疑いがあるものの図版を参考資料として掲載しました。
「文献の紹介」 古賀春江に関する重要文献を写真付きで紹介しております。
「作品目録」 古賀春江の絵画作品の目録です。閲覧者の便宜を図るために技法別、所蔵者別に分類しました。なお、古賀春江作とされていても偽作の疑いがあるものは除外しております。
「文献目録」 古賀春江の自筆文献、または古賀春江に関する記述のある文献の目録です。
「人物事典」 古賀春江と関わりのある人物のプロフィールを掲載しました。
「限定公開」 所蔵者の許可が得られなかったために当ブログで公開できない作品図版をパスワードを用いて限定公開しております。
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  1. 2021/01/01(金) 00:00:00|
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当ブログの主宰者からの告知

◯現在、以下のアンティーク絵葉書を探しております。

古賀春江《涅槃》(第10回二科展) 原色版
古賀春江《》(第11回二科展) 原色版
古賀春江《》(第12回二科展) 原色版
古賀春江《動物》(第14回二科展) 原色版
古賀春江《黄色のレンズ》(第17回二科展) 原色版
古賀春江《仮説の定理》(第18回二科展) 原色版

当方は以上の絵葉書の購入を検討しておりますので、これらの絵葉書をお持ちで譲っても構わないという方は是非メールフォーム宛に御一報下さい。

◯現在、以下の目録を探しております。

目録『古賀春江氏遺作水彩画展』(1933年、銀座紀伊國屋ギャラリー)
目録『古賀春江遺作回顧展覧会』(1935年、新宿紀伊國屋書店ギャラリー)
目録『古賀春江遺作展覧会』(1941年、銀座資生堂ギャラリー)
目録『古賀春江遺作油絵水彩展覧会』(1941年、日動画廊)
目録『異色作家展シリーズ第29回 古賀春江展』(1963年、渋谷東横 東館7階画廊)
目録『古賀春江の水彩』(1965年、東京国立近代美術館)
目録『詩情と幻想の画家 古賀春江展』(1981年、大牟田市・いづみ画廊)

当方は以上の目録の購入を検討しておりますので、これらの目録をお持ちで譲っても構わないという方は是非メールフォーム宛に御一報下さい。
  1. 2019/01/01(火) 00:00:00|
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《婦人像》

婦人像


婦人像

1919年頃
水彩・紙
49×32cm
中野美術館

掲載文献:
目録『中野美術館 作品選』(中野美術館、2014年)pl.105



出典(図版):目録『中野美術館 作品選』(中野美術館、2014年)p.91
出典(作品データ):目録『中野美術館 作品選』(中野美術館、2014年)p.143


〈解説〉
この作品はもともとスケッチブックに描かれたもので、写生風の作品である。モデルは、その顔付きから後に夫人となる岡好江かと思われ、好江を描いた数点の作品中でも早い時期のものであろう。


※当作品の図版は中野美術館様から掲載許可を頂いております。
  1. 2016/09/23(金) 00:19:17|
  2. 作品の紹介
  3. | コメント:0

《干物》

干場_convert_20160311210841


干物

1919年
油彩(支持体不明)
62×51.5cm
個人蔵

展覧会歴:
1953年 「小出楢重・古賀春江展」(神奈川県立近代美術館) no.3



出典(図版):目録『古賀春江展』(神奈川県立近代美術館 鎌倉、1953年)n.p.
出典(作品データ):目録『古賀春江展』(神奈川県立近代美術館 鎌倉、1953年)n.p.


〈解説〉
古賀春江が油彩を描き始めてごく初期の作品。1955年に「古賀春江同好会」の名前で東京国立近代美術館に古賀の遺作が一括寄贈されたが、おそらくその一連のものと思われる。ただ、何らかの理由で寄贈対象から外されたものと推測される。


※当作品の図版は個人蔵ということで本来なら所有者様から掲載許可を頂かなければならないのですが、それが困難なので、代わりに古賀春江研究の第一人者である森山秀子氏(石橋美術館)から掲載許可を頂いております。
  1. 2016/03/11(金) 21:12:30|
  2. 作品の紹介
  3. | コメント:0

《婦人像》

婦人像_convert_20160311170755


婦人像

1919年
油彩(支持体不明)
55×47cm
個人蔵

展覧会歴:
1953年 「小出楢重・古賀春江展」(神奈川県立近代美術館) no.2



出典(図版):目録『古賀春江展』(神奈川県立近代美術館 鎌倉、1953年)n.p.
出典(作品データ):目録『古賀春江展』(神奈川県立近代美術館 鎌倉、1953年)n.p.


〈解説〉
古賀春江が油彩を描き始めてごく初期の作品。1955年に「古賀春江同好会」の名前で東京国立近代美術館に古賀の遺作が一括寄贈されたが、おそらくその一連のものと思われる。ただ、何らかの理由で寄贈対象から外されたものと推測される。


※当作品の図版は個人蔵ということで本来なら所有者様から掲載許可を頂かなければならないのですが、それが困難なので、代わりに古賀春江研究の第一人者である森山秀子氏(石橋美術館)から掲載許可を頂いております。
  1. 2016/03/11(金) 17:23:43|
  2. 作品の紹介
  3. | コメント:0

短詩六つ(坂、花園で、港、七月、関連、或る夜更)

     

二つの脚で立ちながら
左右をかはる/″\に前へ出してゐる
そうすることに依つて
前へ前へと進んでゐる
一人の男が
白い坂道を登つて行く
道は真直ぐにあつた
遠くの方は空の真中に突きささつた道で
男は左右の脚をかはる/″\前へ出し
不思議に 実に巧妙に前へ進んだ
坂の上から
小さい人間が歩いて来た
三本の脚をかはる/″\前へ出し
そうすることに依つて
彼は──正確に言へばステツキを持つた男でしかないが──前へ坂の下へと進むことが出来た
私の眼はこの両人の真上にあつて
実に正確に両方が前進するのを見て
実に実に驚いて終つた。


     花園で

花園で
ぶるん ぶるん ぶるん ぶるんと
花は音を立てゝゐた
よく見ると
からだを揺りながら
ぶるん ぶるん と音を立て
少しづゝ太くなつて行つた
白い花であつた
銀の槍を突き出し乍ら
それは見る眼も痛い程刺し通した
槍は二間も行くとまた花の中へ立ち返り吸ひ込まれた
馬が首を出した
馬でなかつたかも知れない
しかし仮りにそれは馬であつた
馬は別に瞬きもしなかつた
ずんぐりとした首を動かさないので
頭がずつと前へ出てゐた
それは桶のやうであつた
雲がその他にあつた
ブリキ製の雲で
それは極めて鈍く光つてゐた
いつまで〔も〕そうしてあつた
別に関係があるではなし
三つ〔の〕ものが各々そこにはあつた。


     

薄原のやうな水面が一杯に拡がつてゐた
風が吹くと波立つのであつた
薄のやうな波であつた
小さな蒸気船は
水面の波立つ度に
水の中に沈んだ
船の横腹に
数十の窓が二段に並んでゐた
窓の一つ一つに
一つづゝの顔が出てゐた
船が揺れると並んだ顔も揺れてゐた
船が水中に沈んでも顔は窓から出てゐた
その船は時が経つに随つて数を増して行つた
大きな帆前船が一艘あつた
人は誰もゐなかつた
そしてそれは水上にあつて波に動かなかつたが
それ自身上の方に少しづゝ昇つて行つた
上に昇る程速度を増し
形をふくらまして行つた
どんどんそれは膨らんで
終には空中一杯位になつた
それは月であつたかも知れない。


     七月

ほのぼのとした倦怠
そう言ひつゝ私は掌を見た
決してそれは足でなかつた
陽向と陽│蔭《かげ》の間に坐つて居て
私は言つた──ほのぼのとした倦怠──
そして手を見た 掌を
周囲は薄黄色うく〔「う」に「ママ」の注記〕もあつたし青くもあつた
私はそれを怒らなかつた
嘴の赤い鳥が
ほがらかに高音に鳴いた
──嘴の赤い鳥は決して鳴かないとは噓だつたのだ──
それだけの事であつた
私は自分の頭を静かにとりはづし
爼の上にのせて見やうと思つた。


     関連

机の抽斗が開いてゐるのは
人間ばかりのせいであるか
煙草だつて吸はれるし
人はあつちへ行かうと思へば行くことも出来る
そしてぢつと向ふの方まで行けもする
帽子をとつても挨拶するとは決つてゐないし
世界には
鐘の音だつて響き亘る
波打際には泡もある。


     或る夜更

ぼうぼうと煙が棚引き登り
月が真紅に染つて
煙の中を泳ぎ出し
風が空中の花粉を吹き散らし
花がみんな地に堕ちて
凋れ朽ちてゆく地上の此頃になると
友達の顔も忘れかける
時毎に末日の折りの思ひがする
生物共はみんな地に伏し
黒々として動きも出来ず
悪念ばかり刃を砥いで
ひたすら人を虜にする
深夜に
街道に動くものは
人の挽かない車ばかり
荷車ばかり
唯一人で
轆々と無人の夜更を行くのである。



初出:『みづゑ』258号(1926年8月)pp.30-32
底本:古賀春江文集『写実と空想』(中央公論美術出版)p.89-96
  1. 2016/03/11(金) 02:46:38|
  2. | コメント:0

新傾向絵画と二科

 二科会も今年で愈々二十年の記念展を催すこととなつた。
 そも/\其時代の洋画会は〔#「会」に「ママ」の注記〕官展としての文展として、所謂古典主義を中心として時代の進展と共に発展することが出来なかつた。時代は日進月歩の勢で新しい文化社会として美術のみはその歩みに伴なはず二十年依然として足を止めてゐた。新しい美術と二科会、さう言ふ言葉は、現在に於て普通の常識語となつて終つた。全日本の洋画の新鋭を代表としてその第一回の展覧会を三越の五階に開いたがその次回には上野の竹の台の仮会場に移つた。
 当時会の創立者として会員は石井柏亭氏、梅原龍三郎氏、柳敬助氏、田辺至氏、津田青楓氏、山下新太郎氏、坂本繁二郎氏、小杉未醒氏、有島生馬氏、斎藤豊作氏、湯浅一郎氏の諸氏であつた。其後二十年経過現在その会員に幾多の変遷を見た。
 その頃の作品も現代のものに比較すると大分に違ひがあるが、硲伊之助氏はその第一回に於て素晴しい「裸体」の大作を示した。東郷青児氏は今日迄その有名な勢力を持続してゐるがその時代に既に「未来派」といふ全く新しい作品を発表してゐる。その時の作品の題名は「パラソルをさせる女」だつたと思ふ。
 その後会毎に〔#「会」の横に「回」〕二科は新しい芸術のため社会に偉大なる功績を示したが、この頃の会の過程に就いては石井柏亭〔氏〕の詳細なる論述があると思ふ。中川紀元氏はフランス〔から〕帰朝後マチス流の力強いフオーブの作法で人物、静物、風景あらゆる素材のものを表現して観者の眼を驚かした。その他外国の作家からも種々な作品を出品されたが全く当時の社会に於ける最前線に在つたものだつた。
 最近に超現実派と言はれるものが現はれたが一般社会からは僅かな反響を得たのみで未だ進展の途中にあるものと言へる。
 一体に日本での洋画の傾向は所謂写実主義と言はれるもので、その作品は対象を視覚で得たまゝで、その客観的美を目的として表現されたのであつた。
 それは如何にも美しい作品であつた。人物も、風景も、静物も各種の題材を取つて描かれたものであつた。それはどんな観者にも快感を与へてゐたが、それが時代の趣向と一般の観察者の観賞力とが進歩したに反してそのまゝに繰返されてゐた為め其魅力を失ひ掛けて行つた。
 例へば一般の今日の美の観賞を例にとつて言へば、今まで美しいと言はれてゐたが、今日では案外それが美しいと見えなくなつて行つた。昨日の美で今日の美でなくなつた。山の美、川の美としてもその通りである。日光、富士山、松島、厳島等といふ随分名所として賞され、景色は何時の間にか見返られなくなつて段々に見落されて行つた。それよりも今の社会の美観は何時も、直線の美、曲線の美といふことになつて例へば隅田川の七橋等賞されることになつた。
 これは一般社会の状況を見れば一目瞭然である。
 児童の趣味などに就いても、それは判る。昔は人力車や、馬車や富士山や桃が美しく見られて居たが、今の児童達はそんなものは見やうともせぬ。汽車、電車、自動車といふと夢中になる。
 これは一般社会の文化の発展、文化的施設の発展の反映と見て差し支へないと思ふ。
 一般の科学、機械、薬品、街路の通路、家屋の形、色彩、日常の使役品や玩具、総てことごとくが科学的なものであり機械的なものである。
 そこで、美術の方は如何なつたかと言ふと現実的作品の変遷も科学的現実主義が出来て既に以前の、アンドレ・ブルトン等の主張した時代のものから現在の科学主義超現実主義に移行したものである。
 ブルトン等はその始め、フロイドの精神科学などに基礎を置いてゐた者もあつたがそれは現代になつて全然否定されてゐる。超現実主義とは今になつても依然夢の芸術の如く理解されてゐることが多いけれど実はそんなロマーンチシズム的な現在ではないのである。
 今日までの作品の現実の芸術的価値、それが単に一作品としてたゞ美しいとして美術品としての存在価値を持つてゐた。美しいと言ふだけでは、芸術とは言はれない。美術品は現実の物質存在としての価値を持つた芸術品とは言はれない。芸術の本質それはとりもなほさず精神的美術存在でないが、これは哲学的に言つても唯心的と唯物の二つに別れるのである。
 ヘーゲルの唯心弁証法から、マルクス、エンゲルス等の唯物弁証法との見解の相違。
 認識論でも矢張りこの二つの論があるやうであるが、マルクスはヘーゲル等の唯心的弁証法を認めない。所謂物体の存在が精神を支配するものだと言ふのである。
 また唯心論では唯物弁証法を認識論として認めない。認識物といふのは具体の認識であつてそれは所謂写生主義であるから観念として認識を認められないと言ふ。
 すると、もう一方では両方認められない、それよりも現象世界そのものをもつと研究すべきである。フツサン等がその説を力説した現象主義であつて現象の問題に一歩進んだのである。
 大体「在る」といふ問題が仲々むづかしく解決が困難である。「有」と「無」の問題、これは昔から永い間の未解決の問題らしいけれど矢張り今でもとうてい解決出来ぬ! ノエマとノリシーズの問題。
 美術界に於てもそれは大問題にされねばならない。写実主義を単に模写主義とせる説、観念主義を唱へる者。
 単に美なる作品の否定、それは感覚的認識的で芸術的認識と表現にまで行かなければならない。文学に於ても同じで「悲嘆、驚嘆、喜悦、満悦、不満、悲観」等とそのまゝに情的に美術的に文学で現はすだけでは文学とは言へない。文字の羅列である。
 あゝ、痛いと叫んだとて文学とは言はれない。それは犬の叫が「ワン」と言ふ声と現実の上で単に「在る」と言ふことである。
 これはどうしても文学上の所謂「ポエジイ」とは言はれない。
 美術作品も単に観て美しいのでは芸術品では無い。
 所で現代の日本の洋画展は何所で見ても矢張り、写実主義といふのが多い様である、裸体の婦人が立つて居て側に椅子があり、テーブルがあつて果物に布とがある。それがそれだけの姿をして描いてある隣りの画は美しい山があつて野が近くまで拡つてゐて、小川がその中を流れてる、雲が浮いてゐる。
 一方には大勢の労働者が集つて、ボロのかたまりのやうに醜く出来てゐる。
 赤ん坊を抱いて土間で傾いた板間でお乳をやつてる母親の風景、とても美しいと見られるものでは無い作品が沢山並んでゐるが、一体美術の殿堂と言はれるものはあんなものであらうか、こまつた殿堂である。これでは現実主義であらぬ誰でも逃げる。
 今の日本では仲々作家らしい者さえ少ないが今後の画壇では追々にそれ等の新しい分子が出現して来ると思ふ。
 二科会は前にも言つたやうにその時代の新しい新進を推薦することに依つて最も社会の親任を〔#「親」の横に「信」〕得、それ等凡ての新しい尖鋭として意義ある伝統を作つた。この二科会の中から、その意義ある意義を生かして現れて来るものが必ず生れると信じる。
 二科の万歳を祝して擱筆する。   七月二十九日



初出:『アトリヱ』10巻9号(1933年9月)pp.40-42
底本:古賀春江文集『写実と空想』(中央公論美術出版)p.49-53
  1. 2016/02/06(土) 08:28:47|
  2. 評論・随筆等
  3. | コメント:0

品川工

品川工(しながわ・たくみ) 1908年6月11日〜2009年5月31日

版画家。新潟県柏崎市出身。本名は関野工。東京府立工芸学校金属科(現・都立工芸高校)に進み、1928年に卒業。彫金家・宇野先眠に師事。しかし、型にはまった彫金の仕事への関心が薄れたため、宇野のもとを去り、兄の品川力とともに東京帝国大学の近くでペリカンという喫茶店を開く(のちのペリカン書房)。そこで、当時、帝大生だった立原道造、織田作之助、串田孫一、岡本謙次郎、三輪福松、北川桃雄、宇佐見英治らと出会う。彼らに翻訳してもらったモホイ・ナジの著作に感銘を受け、また、ペリカンの賓客だった晩年の古賀春江の知己を得るなどして、「本当に芸術に目醒めた」という。この頃、紙彫刻、板金、オブジェなど様々な作品を制作していたが、1935年に版画家・恩地孝四郎に師事したことをきっかけに、本格的に版画制作を始める。1937年に徴用されて株式会社光村原色版印刷所で軍の作戦地図などを作成するかたわら、作品制作を精力的に行う。終戦直前に農商省工芸指導所の玩具研究室長となるが、終戦後に退所し独立。1947年、日本版画協会会員。1949年、国画会会員。1954年、ルガノ国際版画ビエンナーレ、サンパウロビエンナーレ、英国国際版画展などの国際展に出品。版画のほかスプーンなど身近な材料を使ってのモビール、立体など多彩な創作活動を続け、常に実験的な新しい造形に挑んだ。
  1. 2015/10/31(土) 12:09:05|
  2. 人物事典
  3. | コメント:0

《無題》

無題


無題
Untitled

1921年頃
油彩・カンヴァス
72.5×72.5cm
石橋美術館

展覧会歴:
1975年 「古賀春江回顧展─生誕80周年記念─」(福岡県文化会館) no.54
1981年 「詩情と幻想の画家 古賀春江展」(大牟田市 いづみ画廊) no.8
1986年 「古賀春江―前衛画家の歩み」(石橋美術館・ブリヂストン美術館) no.6
1996年 「麗しき前衛の時代―古賀春江と三岸好太郎」(茨城県近代美術館・石橋美術館) no.K-9
2010年 「新しい神話がはじまる。古賀春江の全貌」(石橋美術館・神奈川県立近代美術館) no.34

掲載文献:
古川智次「図版解説」 古川智次編『近代の美術36 古賀春江』(至文堂、1976年)pl.4



出典(図版):図録『麗しき前衛の時代―古賀春江と三岸好太郎』(茨城県近代美術館・石橋美術館、1996年)p.49
出典(作品データ):図録『新しい神話がはじまる。古賀春江の全貌』(東京新聞、2010年)p.202


〈解説〉
後日追記予定。


※当作品の図版は石橋美術館様から掲載許可を頂いております。
  1. 2015/06/28(日) 17:57:17|
  2. 作品の紹介
  3. | コメント:0

《孔雀》

孔雀


孔雀
Peacock

1932年
油彩・カンヴァス
145.4×112cm
左下にサイン:HARUE KOGA
福岡大学

展覧会歴:
1932年 「第19回二科展」(東京府美術館) no.184
1953年 「小出楢重・古賀春江展」(神奈川県立近代美術館) no.28
1963年 異色作家展シリーズ第29回「古賀春江展」(渋谷東横デパート)
1975年 「古賀春江回顧展―生誕80周年記念―」(福岡県文化会館) no.114
1986年 「古賀春江―前衛画家の歩み」(石橋美術館・ブリヂストン美術館) no.47
1991年 「古賀春江―創作のプロセス」(東京国立近代美術館) no.96
1996年 「麗しき前衛の時代―古賀春江と三岸好太郎」(茨城県近代美術館・石橋美術館) no.K-58
2010年 「新しい神話がはじまる。古賀春江の全貌」(石橋美術館・神奈川県立近代美術館) no.144

掲載文献:
古賀春江他「展覧会前景」 『美術新論』7巻9号(1932年9月)pp.54-55
荒城季夫「二科展を観る」 『アトリヱ』9巻10号(1932年10月)p.15
福島繁太郎「二科会を観る」/清水登之「二科会を見る」 『美術新論』7巻10号(1932年10月)p.14/p.19
荒城季夫「二科展印象」/大山広光「二科会を観る」 『美之國』8巻10号(1932年10月)p.63/p.67
福沢一郎「二科の前衛室」 『みづゑ』332号()p.8
竹中久七「古賀春江追憶―二十回忌に際して―」 『詩の家』87号(1953年11月)p.10
古川智次「図版解説」 古川智次編『近代の美術36 古賀春江』(至文堂、1976年)pl.23



出典(図版):図録『麗しき前衛の時代―古賀春江と三岸好太郎』(茨城県近代美術館・石橋美術館、1996年)p.139
出典(作品データ):図録『新しい神話がはじまる。古賀春江の全貌』(東京新聞、2010年)p.216


〈解説〉
後日追記予定。


※当作品の図版は福岡大学様から掲載許可を頂いております。
  1. 2015/06/28(日) 15:25:57|
  2. 作品の紹介
  3. | コメント:0
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