古賀春江資料室

洋画家・古賀春江(1895-1933)のデータベースを制作中です。

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詩抄(動物園の白熊、淋しき、顔、川端にて)

     動物園の白熊

皆と離されて一人淋しく生きてゐる
動物園の白熊。

「妾この熊を見るたびにいやなのよ」

あの熊はいつ見てもあんな風に淋しんであんな何となく遊んでゐるのよ
何時も顔付もあんなに淋しい顔で
一ケ所であんなに同じ所を行つたり来たりして水の中へ入つたり
淋しいのです。

娘はあゝ言ふ事程娘も淋しい顔をして居る
教育なんて
やさしい人の情を知らないのか
遠い見知らぬ世界に
あこがれてさゝやかな涼しい目を上げ
空を見上げて何時もの淋しい顔をしてゐる
何時も淋しい顔をしてゐる
娘も淋しい娘である。


     淋しき

幾つかの花の白や黒や
又の日の高い岡で
何時の友の声に忘れられず窓ガラスの曇つたのを見続け何となく一人の淋しさや小川の気欝の音の高い物語を感じてゐる。


     

顔と言ふ物程不思議なものはない
見れば見る程不思議な存在である
在る様な無い様な不思議なる存在である
顔と言ふ程世の中に不思議なものはない。


     川端にて

川はその脚の長い黒い烏であつた
何時も鳴き声を立てずだまつたまゝ身動きもしない
汽笛が遠く送つて行つたが山の彼方は白々と寒さであつた
私は寒くて困つた
秋の寒さにしみ/″\と淋しさを感じた
あんな目を帯びて
白光の流れた線がかすかに見える
そのまゝで
私はさつと揺れるのである。



初出:『みづゑ』343号(1933年9月)p.17
底本:古賀春江文集『写実と空想』(中央公論美術出版)p.131-134
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  1. 2010/06/28(月) 18:00:00|
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詩抄(青い海、白い曇り日、夜の夢、季節の確信)

     青い海

青蛙が、矢張り青ペンキの塗り立てで
二匹が却々〔#「却々」に「ママ」の注記〕話もしない
二つの蝶が藪の丸竹の上に書いたこの恋文は
花の宛名を探がしてゐる
働き掛けた自働車
女の可愛い眼ざしの上に勝ち誇つたやうに映つてゐる
可愛い女は音の中から生れて来て海の底へ行かうとしてゐる
海の中は底まで平たいので平気で歩けばよい
諸君は何とも思はないか。


     白い曇り日

花屋に花の窓があつて
螢の美しい羽が羽搏いてゐる
自転車に乗つた少年は花屋の窓の前で立ち止つて花を見てゐる
花の日、花の家。
花日、花達は何所か自由な所へ行かうと思ふ
遠い海岸の方から鐘の音が響いて来る
幸な思ひを思はせる音が
遠くから聞えて来る。


     夜の夢

青蛙の一匹がランプの消えた室の中で
空の中の光りを望めてゐる
不思議な空の中では
あんなにいろいろな珍らしい美しい事があつてゐるのに
蛙の空の中は何の事もない
蛙は不思議に思つた
あつちはあんなに面白いのに
あつちは何といふ淋しいことだらう
あつちとこつち
どうしてこんなに違ふだらう
どうしても不思議にわけがわからない
考へて見てゐるが同じことだ

この室のランプは暗い
あの空の月の中に這ひ込んで行つたら
空想は夢だと言ふ
昔の夢だけが生きてゐるのか。


     季節の確信

知らない海の遠い光
遙かな思ひ出の海の島
海の女達は島の鳥達と共に話をし
魚貝と共に遊んでゐる

丸い海の山
丸い山の鳥等虫等
月が出てゐる
空を眼がけるとむづがゆくなる。



初出:『美術新論』8巻9号(1933年9月)p.33
底本:古賀春江文集『写実と空想』(中央公論美術出版)p.128-131
  1. 2010/06/27(日) 18:00:00|
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詩抄(「存在」に就いて、反省、日常)

     「存在」に就いて

うるんだ眼から指が動いて
青い水の滴りを掬ひあげる
深い重みが遠い所からやつて来て
微笑《ほゝえ》みながら頁をめくると
掌の上にある桃色の鳩の羽が
落ちぼけた顔をなめるやうに
昔噺の本を案内する

切断の整理はしかしどんなに努力しても
甘いア・プリオリは猾《ずる》いよ
背広の背中を柔らかな手で撫でられて
街頭で股は高く切れあがつた
清々しい靴音で若夏花の匂ひを立て
兎に角姿勢は先づ上々
蒼穹の紫の影もまた伝説の鏡か
古い体温の穴を開けて
深夜の夢を組んでゆく

地球の雑音が時間に映つて
頭の毛を後から引つぱる
美しいものは何所にもある
窓は平面
両脚をうんと突つ張つて
匂ひの真実を嬉しがる
美しい椅子に美しい少女の貌
花瓶の葩が窓からの風に散る
少女の指が一寸動くと
空の星の一つが飛ぶ

「存在」は純粋である。


     反省

思ひは朝に早く
煙草の煙が巻き
まわりに出す陽の中で
秘密の冷たいコツプの中で
百色に彩る時刻の中で
墜ちて来る石
沿びて〔#「沿」に「ママ」の注記〕ゐる光の絵の
ほのぼのとした顔の
忘れた衣物の線で
叩かれて行く道の草々
車前草の葉裏の白
盲ひた音の影日向
川岸の上から手を挙げて
口笛の合図を聞かせる柳の枝
水鳥の草の巣
かなしい山の色から
微かな呼ぶ声がつながつて
ひとりの思ひはかぎりなく
雲の小花のやうに散つて
飾りもない見の淋しい
風景のまわりを廻る
可愛い蝶の足跡
何時までも昇つて行く蝶
唄の中に包まれて引つ張られる
何所に自分の姿があるやら
飛び越えて行く時間の季節
不滅の秩序がそこにある
鋭い空の鏡。


     日常

ふとした憶ひ出が
そしてこれ等のものが
私のまわりを
ぐる/\とまわつて
今の幻とごつちやになつて
身動きが出来なくなると
真実に淋しく苦しく
頭にそつと触つて見ても
手の感覚が夢のやうで
幻の眼が弥が上に強くなり
幻が私を虜にしてゐるのか
私は何故生きてゐると思はねばならないか
精神がある間は人は死んでゐるのだといふ。
精神に賛成する精神
真実は我儘で他人事でガマンが出来ないと思つて
カンシヤクの虫が飛び出して
俺は知らぬ知らぬと怒鳴り散らす
やつと思ひ返して自分の手の甲を見て
窓越しに遠くの何処かの煙突の煙を見て
はじめて思ふ
「煙こそ人間である」と。



初出:『美術新論』8巻4号(1933年4月)pp.60-61
底本:古賀春江文集『写実と空想』(中央公論美術出版)p.123-128
  1. 2010/06/26(土) 18:00:00|
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極めて鮮明なる文明の縞(歓喜と欲望の定規、游泳する腕の眼鏡、爪)

     極めて鮮明なる文明の縞

ブレーメン号
快速二十七ノツト
二つの機関室のタービン
青銅製の四個のプロペラー一個の重量十七トン
一時間の海水使用量三万二千トン
船内の清浄なプール
船客三千人。

優美な電話のある機械の花等
丸い花の雨
白い肉体が沈む。

「胸の扁平は文化に比例する」
アメリカの耐久ダンスで四百五十時間踊り抜いた男女があります

何人《なにびと》が煙の中で香料を拵らへるか。

鵞鳥と馬の写真を撮つて
体内の温度を検べて見ます
それは壮厳なる截断機の刃である
太陽とも空想ともつかない精神の壁で
歪んだ衣裳の日向葵は
曲つた固い海の風に吹かれる。

甜菜 含有性分から水分七五%を蒸発さすれば残りの二五%は糖分と灰分である。

宿命と認識の緩慢な速度
成長する仙人掌の夢想
けれども時間は肩の上にはない
窪むカブトムシの脚
最初の完全な数理。

見失はれた鉛の信号
みんなは昆虫になりたいと思ふ。

風車のやうに廻る海洋を蔽ふて
最早睡眠の薄明が来た
出発は右手に大熊星を持つて
三角形の機関は活動する
雪の降り出してゐる薄明の海に
射撃を開始し給へ。


     歓喜と欲望の定規

砂の一つ一つに温まりがあつた
手はのび/\とすなほに砂を掬つた
砂は掌の上から昇華した
星が一時に数万も増した
草は濡れて
然し小鳥等の卵は鈍く光つてお互の眼を見合せて微笑してゐた
黒い水が脚下を洗つた
地球は何か遠い所から見知らぬ所へ来たやうであつた
遙か上方へ輝くものが見えた
純白の思想
黒い夜の中に凡てのものがあつた
花粉のやうに凡てのものが匂つて散つた
海藻の間から眼をかゞやかし
黒い夜の海辺の波打際で
釈迦は涅槃を見た。


     游泳する腕の眼鏡

午前零時の街の上の口笛
塩辛い羽のある針が動く
縞の蝶は橋下の魚の光を喰べる
何故に確信を以て人等は街上を歩くか
人等はそれを知る
蝶がそれを見る
薄い水に浮き上つて
水すましは美しい
凡ての終りはみんな美しいのであるか
彼等は恐るべきです
学者は実に純白なシーツの上に坐つて本を読む
彼が如何なる煙草を信じてゐるかは誰も知らないのである
測度計の中の水さへ重さに曲る
太古の警戒と老齢は醗酵するであらうか
凡ては巡環しても筒の中では帽子を被れない
鼻の中の顔
忠実なる双眼
振動する遠い唇
これには視覚以外に立つ不可視的放射線を用ゐます
即ち紫外線を捨てゝスペクトルムの反対の端の赤外線が試みられるのです
対者は遠くから泣けるのです
過ぎてゆく時間を帽子で伏せて
私は高い塔の上から
手を挙げて挨拶してゐるのに。


     

  一、
潜水夫は引き上げられた
感覚の座席は何処だ
空想は孤独である
誤謬
誤謬の後の誤謬。

  二、
片方の脚が痛み出した
彼は脚の痛む箇所を揉んだ
彼は役に立たなくなつた脚を大切にした。

  三、
雲を見てゐる
冷い沸騰する都会の空で
折監される娘
真黒い涙の川の中に浮く顔。

  四、
名刺が燃える
高名なる名士になる
電柱の上に電信工夫はゐる。



初出:『みづゑ』307号(1930年9月)pp.9-11
底本:古賀春江文集『写実と空想』(中央公論美術出版)p.111-117
  1. 2010/06/24(木) 18:00:00|
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道徳的なる一つの門(朦朧とした眼鏡)

     道徳的なる一つの門

窓の中から飛び出したる秀麗なる悪漢を注視せよ、彼の秀麗なる顔貌を注視せよ、彼の進歩せる両脚は今や婉美なる花園の中の乾いた白砂を踏むのである。
彼の三角形の光つた頭上から扁平な雲は一枚一枚と飛んで行く、それは遠くに磨かれた霞の如き香気を放つ。
凡ての想像は順従である〔#「順従」に「ママ」の注記〕。
開かれたパラソルの如く広大にして優美なる天国を彼は夢見るであらうか、回転する一本の白線に立つた脚は謙遜に理解する、蘭科植物の花も蝶の如き泡沫の踊り子に真実の生を寄するのである。
紫の踊り子の髪は真実に紫であることを願ふ、それは近接する意慾の円熟せる植物の果実の如きものである、限りなき栄華の魅力の中に汎濫する肉体である。
人生はその難所に於て屢々罪科の帽子を眼深かに被つて逃避する。
花園の中の悪漢よ! 永遠に連なる貝殻よ!! 海底の透明なる水は甘いか。


     朦朧とした眼鏡

周囲は濁りのない青水色で、無数の魚が扁平な体を震はせて居た。
円形劇場の真中に、円錐形の詩人は坐つたまゝ動かなかつた。
茨の蔭から銀色に濡れて来て、舞台を包んだ光線の中で、非常にそれは崇高に見えた。
垂れ下つた帳の向ふに女王様はゐられるのだと思ひませんか。
しかし真珠貝の内側は畳まれないだらう、それは歩道の向ふ側にあつて固い、
指を抂げても〔#「抂」の横に「枉」〕音も色も感ぜられない。
七色の丸いシヤボン玉はあるにはあるが太陽が隠れてゐるので道が見えないのです。
だんだん詩人は眠くなつて来て、二本の棒は平行線だつたので、まんまるい球になつた詩人は、
棒の間から下へズンズン落ちて行きました。



初出:『セレクト』1巻4号(1930年4月)p.5
底本:古賀春江文集『写実と空想』(中央公論美術出版)p.109-111
  1. 2010/06/22(火) 18:00:00|
  2. | コメント:0

円筒形の画像(宇宙の爪、古き窓、晩餐、直線の如きもの、点景)

     宇宙の爪

酒場の花粉の中の紳士は十九世紀のお伽噺に感激的な身振をしてゐる
彼は挨拶する
また健康で明朗なる観念の持主である所の地球を抱いて茛を喫ふ
植物採集家は枝振りのよい光沢の強い円柱の囲りを飛ぶ蝶等の斑紋を計算したり
彼の長靴に踏みつけられた蛙に就いて思考する
死んだ馬は決して純粋であつたといふことは出来ないかも知れない
死は薔薇の花の如く古典的である
それは又認識の集積に火をつける
神秘主義詩人の眼鏡はそこでどうなるのかといふ斯くの如き認識体の一つのサンプルであつた
隻脚を挙げた彼の採集網は如何に聡明を表はしてゐても
文明の世界よ
白い条の入つた地球は夢の深い夜かも知れない
機械はしかし廻転するのだ
たとへ髪の毛の如き扮装の金魚が演技の最中でも
植物採集家・彼は親愛な地球を抱いて体温表を注視する


     古き窓

諸君は麦酒瓶の口から這ひ込んで行つたことがあるか
諸君は其所で感じたに相違ない
限りなき真実と
大きな環を持つた熱気とを
靴を穿いた男はその時暑い/\と言つた
写真師が来てフリージヤを上げませうと言つた
写真師はむろん眠つてゐるのだらう
向ふの方に燈火がついてゐるではないか
そこまで理髪館の中庭の小径で両側に鈴懸が並列してゐた
理髪館の鏡の中では諸君も馬に乗つて脚をあげるか
あんな習慣は不思議に美しい鬘に似てゐる
一寸頭に乗せて見たいだらう
パラソルを挿した金魚だつて鬘の帽子を被つたのが居る
随分遠くまで歩いたと思ふだらう
そこでのすたるぢあにかゝつたら
匂ひのよい麦酒でも飲み給へ


     晩餐

僕は五重の塔を見たいのである
素敵に蒼い五重の塔を見たいのである

空気が孤独に素早く虹色に映る景色で

僕はてつぽうを持つてゐないのである


     直線の如きもの

一つの発想は透明な波に乗る
電線にかゝる一つの魚
魚は無限に飛躍する
太陽は満開の花苑
魚は彼の線路を昇る


     円筒形の画像

白い街角に注意深く鉛筆を置いてゐる紳士は純粋であるか
光は無意識の紳士を包む
あゝ僕は僕の咽喉を以てガラス鉢の墜落の音を立てたい
彼は有限の精神を以て燻製の満月をあまりに喫べたから
しからば人間は八角形立方体の運動が可能であるか
おゝ! 親友雲型定規の脚よ
凡ゆる顔の中の重量のない妖精よ
浴槽の煙突から逆さまに出てゐる貴婦人の脚を見ないか


     点景

いつぱい繁つた青葉の窓から
あなたの丸い顔が出る
ふぢいろの顔

遠い商館の空に旗がある



初出:『みづゑ』296号(1929年10月)pp.10-11
底本:古賀春江文集『写実と空想』(中央公論美術出版)p.105-109
  1. 2010/06/21(月) 18:00:00|
  2. | コメント:0

青空に描く素描─五月礼賛

五月になると
街の電柱さへも
女の腿のやうに
柔らかく艶やかに
美しくなる
私は宮守の〔#「宮守」の横に「守宮」〕やうに吸ひつき攀ぢのぼり
大きな太陽の撒き散らす
匂ひの高い花粉を喰いながら
赤い尖つた鉛筆で
青空の幕へ
花や蝶々等の素描を描く
毎日/\疲れるので。



初出:『中央美術』15巻5号(1929年5月)p.74
底本:古賀春江文集『写実と空想』(中央公論美術出版)p.104-105
  1. 2010/06/20(日) 18:00:00|
  2. | コメント:0
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