古賀春江資料室

洋画家・古賀春江(1895-1933)のデータベースを制作中です。

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池谷信三郎

池谷信三郎(いけたに・しんざぶろう) 1900年10月15日〜1933年12月21日

小説家、劇作家。東京京橋生まれ。東京府立第一中学校、旧制第一高等学校を経て1922年、東京帝国大学法学部に入学。その後、休学してベルリン大学法科に籍を置くが、1923年、関東大震災のため帰国。1924年、ベルリン生活に取材した「望郷」を『時事新報』の懸賞小説に応募して菊池寛、久米正雄らに認められて当選。以後、作家生活に入る。翌年元旦から開始した連載の挿絵を村山知義が担当したが、斬新過ぎて読者からは不評だった。1925年、村山、河原崎長十郎らと「心座」を結成。第1回公演として自作の戯曲「三月卅二日―伯林悲喜劇―」を築地小劇場で上演。東京帝国大学文芸部の雑誌『朱門』創刊にも尽力。1929年、左傾化した「心座」から脱退して舟橋聖一、今日出海、中村正常らと「蝙蝠座」を立ち上げるが、1933年、結核により死去。都会人の愛欲の種々相を軽快なタッチで描き、新感覚派の一員と目された。代表作に『橋・おらんだ人形』(改造社、1927年)がある。死後、『池谷信三郎全集』(改造社、1934年)が刊行され、1936年、菊池寛によって「池谷信三郎賞」が創設された。「船」(報知新聞、1931年)の挿絵を古賀春江が担当。


参考ウェブ資料:
阿部由香子「池谷信三郎のコスモポリタニズム―二つの『三月卅二日』―」 https://m-repo.lib.meiji.ac.jp/dspace/bitstream/10291/11622/1/bungeikenkyu_85_43.pdf
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  1. 2012/09/29(土) 06:00:00|
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中村武羅夫

中村武羅夫(なかむら・むらお) 1886年10月4日〜1949年5月13日

編集者、評論家、小説家。北海道生まれ。小学校卒業後、代用教員をしながら雑誌『文章世界』に投稿を行う。1907年、上京して小栗風葉に師事する。翌年、『新潮』の記者となる。大正初期には『新潮』編集の中心人物と目され、『中央公論』の滝田樗蔭とともに名編集者として知られる。1925年には岡田三郎らと同人誌『不同調』を創刊。傍ら文芸評論の筆をとり、大正末の私小説論争、「誰だ?花園を荒す者は!」(1928年)におけるプロレタリア文学批判など、文壇の時流に敏感な時評家の面目を示した。また、小説にも手を染め、都会風俗を巧みに点描した通俗小説を多作する。『蒼白き薔薇』(新潮社、1929年)の装幀を古賀春江が担当する。
  1. 2012/09/28(金) 09:00:00|
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長谷和三

長谷和三

医師。旧制第一高等学校時代、同級生に川端康成がいた。1933年、古賀春江が進行麻痺で東京帝国大学附属病院島薗内科に入院してマラリア療法を受けた時の担当医(註1)。後に赤坂・山王病院院長。


(註1) 中野嘉一『古賀春江 芸術と病理(パトグラフィ叢書11)』(金剛出版、1977年)p.17
  1. 2012/09/27(木) 15:00:00|
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上林暁

上林暁(かんばやし・あかつき) 1902年10月6日〜1980年8月28日

小説家。高知県生まれ。本名・徳広巌城。旧制第五高等学校を経て1927年、東京帝国大学英文科卒業。改造社に入り雑誌『改造』の編集に従事する傍ら、同人誌『風車』に小説を発表し始める。1933年、同社の『文藝』発刊に伴いその編集主任となる。文壇的処女作「欅日記」(1931年)に続いて「薔薇盗人」(1932年)が川端康成に認められ、1934年、改造社を退社。以後、創作に専念。農村出身の意志の強さや執拗さを持つストイックで誠実な私小説作家として独自の作風を樹立。作品は全て短編で、代表作に「安住の家」(1938年)、「聖ヨハネ病院にて」(1946年)、「春の坂」(1957年)、「白い屋形船」(1963年)、「ブロンズの首」(1973年)など。1930年頃、『風車』の表紙絵を古賀春江が担当する。
  1. 2012/09/27(木) 12:00:00|
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前川佐美雄

前川佐美雄(まえかわ・さみお) 1903年2月5日〜1990年7月15日

歌人。奈良県生まれ。1925年、東洋大学専門部倫理学東洋文学科卒業。1921年、短歌結社・竹柏会の結社誌『心の花』に入会して佐佐木信綱に師事。1924年、石槫千亦らの曙会に参加。新井洸から影響を受ける。1926年から1933年まで『心の花』編集に携わる。マルクス主義の影響を受け、1928年、同誌の石槫茂(後の五島茂)とともに新興歌人連盟に加わり、1929年、プロレタリア歌人同盟にも参加するが、この頃より芸術派を標榜し、1930年、第一歌集『植物祭』を刊行。シュルレアリスムの表現による幻想的な感覚、想像力の豊かな発想が歌壇内外からの注目を集め、一躍モダニズム短歌の旗手となる。奈良に帰郷後、1934年、歌誌『日本歌人』創刊。その後、保田與重郎、亀井勝一郎らとの交流から日本浪曼派へと傾倒する。1940年、合同歌集『新風十人』に参加。1970年、奈良より神奈川県茅ヶ崎に移住。1989年、日本芸術院会員。『植物祭』の装幀を古賀春江が担当。古賀に前川を紹介したのは当時、短歌雑誌『香蘭』を編集していた木俣修。古賀は前川の住んでいた奈良にも一度訪ねてきたことがあったという(註1)。


(註1) 中野嘉一『古賀春江 芸術と病理(パトグラフィ叢書11)』(金剛出版、1977年)p.86
  1. 2012/09/27(木) 09:00:00|
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水町百窓

水町百窓(みずまち・ひゃくそう) 1907年?〜1978年

詩人、俳人。本名・藤井秀雄。昭和初期、神戸の貿易商に勤める傍ら佐藤惣之助主宰の「詩之家」の同人となり、『生活の一章』(詩之家出版部、1932年)や『自画像』(詩之家編輯部、1933年)といったモダニズム詩集を出す。入家後、山下豊次郎、高木真弓(拓川)、大庭郁二らと同人誌『詩短冊』を出している(後に『線』と改題)。また、「詩之家」の同人となる以前は池永治雄、能登重夫、天野隆一らの「詩章」に参加していたと言われている。戦後、大阪の製薬会社に勤める。その後、俳句に転じ、前述の山下とともに本名で久保田万太郎の主宰する「春燈」に属す。『句集羇旅』(春燈社、1970年)がある。1978年、脳血栓で死去。『生活の一章』の装幀を古賀春江が担当する。


参考文献:
兼松信夫「水町百窓君を悼む」 『詩の家No.69〈通刊147号〉』(詩の家、1979年1月)pp.21-22
藤田三郎「白の喪章〈水町百窓君を悼む〉」 『詩の家No.69〈通刊147号〉』(詩の家、1979年1月)pp.22-23

参考ウェブ資料:
「天野隆一(大虹)と関西の詩人たち」(「高橋輝次の古書往来」第35回) http://www.sogensha.co.jp/page03/a_rensai/kosho/kosho35a.html
  1. 2012/09/27(木) 06:00:00|
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坂口二郎

坂口二郎(さかぐち・じろう) 1880年〜1949年

ジャーナリスト。古賀春江未亡人・好江の再婚相手。福岡県出身。早稲田大学文学部国語漢文及び英文学科卒業。当初、読売新聞社記者になるが萬朝報社に転じ、斯波貞吉編集局長の下で次長として活躍。1920年、同社編集局の内紛に連座して退社。その後、中央新聞社に入り顧問となる。関東大震災後、萬朝報社に復帰し、編集局長に就任。1926年、同社を退社。福岡日日新聞社の在京客員(論説担当)となる。1938年、近衛文麿が支援する『大民新聞』の主筆に就任。同年、古賀好江と結婚。1944年、浄土宗善福寺境内に建立された古賀春江供養塔の発起人に名を連ねる(註1)。菊池知之編著『新聞人坂口二郎 明治編・大正デモクラシー編・昭和編』(草文書林、1992〜95年)に詳しい。


(註1) 図録『新しい神話がはじまる。古賀春江の全貌』(東京新聞、2010年)p.187
  1. 2012/09/26(水) 12:00:00|
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古賀シヅ

古賀シヅ(こが・しづ) 1885年頃〜1947年6月23日

古賀春江の姉。浄土宗善福寺住職・古賀正順の長女として久留米に生まれる。春江より10歳も年長。1900年、速水良念に嫁ぐ。1902年、良念と戸籍上協議離婚して古賀家に復籍。改めて良念と婿養子縁組。1916年、父・正順の死去の際、春江が家督を相続し、良念夫妻は分家となる。
  1. 2012/09/26(水) 09:00:00|
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古賀正順

古賀正順 1842年頃〜1916年7月26日

古賀春江の父。筑後国竹野郡菅原村(現在の福岡県浮羽郡田主丸町)の農家の出で、1853年、筑後国山本郡飯田村(現在の福岡県久留米市善導寺町)の生蓮院で得度。1876年、分家により鹿毛から古賀に改姓。1883年、長崎県東彼杵郡早岐の大念寺から久留米の浄土宗善福寺に住職として入寺。翌年、大念寺時代に知った今里瀬平の三女イシを妻に迎え、三女一男をもうける。三女のうち二子は早世。春江は53歳の時の子供。1902年、嫁いでいた長女シヅを戸籍上で一度復籍させ、改めて婿養子縁組をし、娘婿の良念に寺務を任せて、亀雄(春江の幼名)の養育に専念する。1915年、亀雄を僧籍に編入。
  1. 2012/09/26(水) 06:00:00|
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瀬辺玄正

瀬辺玄正

僧侶。「勤労自足会」という団体を主宰して労働者の就労の斡旋をしていた。また、北一輝の信奉者であり、中野正剛の親衛隊長でもあった。洋画家・橋本八百二に労働者を描くように勧めたとされている。1931年夏頃、古賀春江と知り合い、愛犬のブルドッグを世話した。また、古賀に川端康成を紹介した。


参考ウェブ資料:
「在京札中同窓会会報第22号」 http://www.tokyorikka.jp/oldkaihou/No22(1973-3).pdf 2012年9月25日閲覧
「レファレンス事例詳細 管理番号:C140604103008」(レファレンス協同データベース) http://crd.ndl.go.jp/reference/modules/d3ndlcrdentry/index.php?page=ref_view&id=1000156340 2015年2月23日閲覧


最終加筆:2015年2月23日(本文、参考ウェブ資料)
  1. 2012/09/25(火) 06:00:00|
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