古賀春江資料室

洋画家・古賀春江(1895-1933)のデータベースを制作中です。

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伊藤絵里子

伊藤絵里子(いとう・えりこ)

美術館学芸員。九州大学大学院で後小路雅弘に師事。現在、石橋美術館学芸員。後小路が座長を務める「アジア近代美術研究会」で「仏陀と聖母子―古賀春江作《生誕》の図像について」(第1回、2004年9月4日)、「古賀春江作《生誕》における図像の源泉と創意―大正12年のスケッチ帖から―」(第6回、2006年4月1日)、「古賀春江と長崎―《山ノ手風景》(1928年)を中心に」(第22回、2010年8月29日)を発表する(註1)。「新しい神話がはじまる。古賀春江の全貌」(石橋美術館・神奈川県立近代美術館、2010年)の企画に携わり、図録に「古賀春江と中洲風景―福岡初の二科展に際して―」を寄稿する(註2)。


(註1) 「アジア近代美術研究会のこれまで(1) 第0回~第5回」(「アジア近代美術研究会」2010年5月12日投稿) http://blog.livedoor.jp/asian_art_studies/archives/50657688.html 2013年1月23日閲覧
    「アジア近代美術研究会のこれまで(2) 第6回~第10回」(「アジア近代美術研究会」2010年5月12日投稿) http://blog.livedoor.jp/asian_art_studies/archives/50657689.html 2013年1月23日閲覧
    「第22回アジア近代美術研究会のご案内」(「アジア近代美術研究会」2010年8月7日投稿) http://blog.livedoor.jp/asian_art_studies/archives/50671308.html 2013年1月23日閲覧
(註2) 伊藤絵里子「古賀春江と中洲風景―福岡初の二科展に際して―」 図録『新しい神話がはじまる。古賀春江の全貌』(東京新聞、2010年)pp.166-170
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  1. 2013/01/23(水) 21:00:00|
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北原義雄

北原義雄(きたはら・よしお) 1896年1月31日〜1985年11月11日

出版人。福岡県沖端村(現・柳川市)出身。詩人・北原白秋の実弟(4男)。旧制麻布中学校卒業。1924年、義兄である洋画家・山本鼎の企画のもと、美術雑誌『アトリヱ』を創刊し、アトリヱ社を創立。『アトリヱ』のほか、ゴッホ、ルノワール、セザンヌらの画集を翌1925年に刊行して以来、西洋美術画集、油彩、水彩、パステルなどの各種技法書、個人作家画集など多くの美術書を編集、出版する。戦時中、雑誌統合のため実兄・北原鉄雄が社主となっていたアルス社と合併し北原出版株式会社とするが、戦後の1951年、アトリヱ社を復活し『アトリヱ』を復刊。同誌は『みづゑ』や『中央美術』と並ぶ美術専門雑誌として作家を啓発するところが大きく、また、同社は美術書を専門とする出版社として確かな位置を占めた。1985年、心不全のため東京都中野区で死去。1955年に発足した「古賀春江同好会」に名を連ねる(註1)。


(註1) 図録『新しい神話がはじまる。古賀春江の全貌』(東京新聞、2010年)p.187
  1. 2013/01/21(月) 21:00:00|
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北原白秋

北原白秋(きたはら・はくしゅう) 1885年1月25日〜1942年11月2日

詩人、歌人、童謡作家。福岡県沖端村(現・柳川市)出身。本名・隆吉。生家は九州一円にその名を知られる海産物問屋で、父の代は酒造業を営んだ。1897年、県立中学伝習館に入学。1902年、『文庫』に詩歌を投稿する。1904年、早稲田大学英文科に入学したがまもなく中退。同級に若山牧水、土岐善麿、服部嘉香らがいた。1906年、与謝野鉄幹の新詩社に参加して『明星』に詩歌を発表。まもなく木下杢太郎、吉井勇らと新詩社を脱退し、1908年に「パンの会」を興して耽美主義運動の推進者となる。1909年1月、『スバル』の創刊に参画。故郷柳川をはじめ、長崎、天草を旅して南蛮文学の先鞭となる詩作の契機を得、耽美的象徴詩集『邪宗門』(易風社、1909年)を発表。一方、郷里の風物や少年時代の回想をうたった詩集『思ひ出』(東雲堂書店、1911年)、刺激的な都会風景を叙した詩集『東京景物詩及其他』(東雲堂書店、1913年)のほか歌集『桐の花』(東雲堂書店、1913年)を刊行。詩壇および歌壇の第一人者と目されるに至った。これらの活動は『朱欒(ザンボア)』、『ARS(アルス)』などの文芸誌に継続されたが、さらに童謡、民謡、小唄、随筆、小説など多様な領域で次々に新生面を開拓していった。ほかに詩集『水墨集』(アルス、1923年)、歌集『雲母集』(阿蘭陀書房、1915年)、散文集『雀の生活』(新潮社、1920年)、童謡集『トンボの眼玉』(アルス、1919年)、民謡集『日本の笛』(アルス、1922年)、歌論集『短歌の書』(河出書房、1942年)などがある。1941年、日本芸術院会員。1942年、東京で逝去。古賀春江は若い頃(上京したての頃と推測される)に白秋の強い影響下にあった。歌集『桐の花』を特に愛好し、初期のスケッチブック(石橋美術館所蔵)には白秋のモティーフを流用した自作の短歌やスケッチが幾つか記されている。また、随筆「水絵の象徴性に就て」(『みづゑ』1920年8月)にも白秋の美学からの影響が垣間見られる(註1)。なお、古賀と北原に交流があったかどうかは明らかになっていない。


(註1) 橋秀文「古賀春江の初期のスケッチブック―北原白秋への憧憬から旅立ちへ―」 図録『新しい神話がはじまる。古賀春江の全貌』(東京新聞、2010年)pp.161-165
  1. 2013/01/19(土) 22:00:00|
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森山秀子

森山秀子(もりやま・ひでこ) 1957年〜

美術館学芸員。旧姓・杉本。長崎県南島原市(現在の)生まれ。1982年3月、九州大学文学研究科修士課程修了(日本近代美術専攻)。同年、石橋美術館に勤務。現在、石橋美術館学芸課長。青木繁、坂本繁二郎、古賀春江、高島野十郎など、筑後出身の洋画家を主な研究対象としており、特に古賀の研究にかけては第一人者と目されている。手掛けた展覧会図録は『古賀春江―前衛画家の歩み』(石橋美術館・ブリヂストン美術館、1986年)、『麗しき前衛の時代―古賀春江と三岸好太郎』(石橋美術館・茨城県近代美術館、1996年)、『古賀春江 創作の原点 作品と資料でさぐる』(ブリヂストン美術館・石橋美術館、2001年)、『坂本繁二郎展 石橋美術館開館50周年記念』(石橋美術館・ブリヂストン美術館、2006年)、『新しい神話がはじまる。古賀春江の全貌』(東京新聞、2010年)、『青木繁展 没後100年 よみがえる神話と芸術』(毎日新聞社、2011年)、『高島野十郎 里帰り展』(石橋美術館、2011年)など。
  1. 2013/01/18(金) 22:00:00|
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山本行雄

山本行雄(やまもと・ゆきお) 1902年〜1962年

洋画家。北海道国後島生まれ。少年時代を函館で過ごす。1920年、中学校卒業後に独学で油彩画を学び、同年の第7回二科展に初出品初入選。有島武郎の知遇を得、一時東京で川端画学校などに学んだ。第8回二科展に入選。この頃から中川紀元と交友を始めた。1922年、東京に居を定め、中川、神原泰、古賀春江らとともに二科会系の前衛美術団体「アクション」の創立同人となる。「アクション」解散後は横山潤之助らと「ヴェルム」を結成した他、二科展や中央美術展などに出品。1930年、山本御之の号で第10回新興大和絵会展に出品。この頃から複数のペンネームで小説、演劇評を執筆する他、さまざまな事業を手掛けた。1942年、第1回大東亜戦争美術展に日本画を出品して、朝日新聞社賞受賞。戦後は新制作展などに再び油彩画を発表する他、政治活動、各種の事業、小説、文芸雑誌の挿絵など多様な分野で活動した。


参考文献:
図録『大正新興美術の息吹 アクション展』(朝日新聞社、1989年)
目録『アクション展 1920年の青春 函館モダニスト・山本行雄と”アクション”の友人たち』(北海道立函館美術館、1989年)

参考ウェブ資料:
「山本行雄」(はこだて人物誌) http://www.city.hakodate.hokkaido.jp/soumu/hensan/jimbutsu_ver1.0/b_jimbutsu/yamamoto_yuki.htm
  1. 2013/01/17(木) 18:00:00|
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吉邨二郎

吉邨二郎(よしむら・じろう) 1899年〜1942年

洋画家、挿絵画家。本名・吉村二郎。長崎県生まれ。1922年、東京美術学校図案科卒業。同年秋の第9回二科展に入選。同年、中川紀元、神原泰、古賀春江らとともに二科会系の前衛美術団体「アクション」の創立同人となる。1925年7月16日、今東光が創刊した同人誌「文党」有志の行った示威行動のプラカードを村山知義とともに描く(註1)。同年10月、「造型」に参加。1926年、佐藤八郎(サトウハチロー)著『爪色の雨』(金星堂)を装幀。1927年3月、サトウの作った「ラリルレロ玩具」という玩具製作所に工作部員として名を連ねる。同年5月、帝国劇場における「藤蔭会」公演の洋楽3作の舞台装置と衣裳を担当。1928年、斎藤佳三、峰岸義一、渋谷修らの「主情派美術展」に出品。1929年12月、多田北烏らの実用版画美術協会第1回展に出品。後年は挿絵画家として活動。『少年倶楽部』などの子供向け雑誌の挿絵を数多く担当した。


(註1) 今東光「文壇的随筆」(『新潮』1925年9月)

参考文献:
図録『大正新興美術の息吹 アクション展』(朝日新聞社、1989年)
  1. 2013/01/16(水) 22:00:00|
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重松岩吉

重松岩吉(しげまつ・いわきち) 生没年未詳

洋画家。ニューヨークのインデペンデント・スクール・オブ・アーツに留学。1921年、第8回二科展ならびに第2回未来派美術協会展に出品。1922年、三科インデペンデント展に出品。同年、中川紀元、神原泰、古賀春江らとともに二科会系の前衛美術団体「アクション」の創立同人となる。1923年、丸ビルにおける未来派美術協会展に参加。昭和初期、台湾や中国を放浪。中国近代絵画の一大コレクションを形成した外交官・須磨弥吉郎(1892~1970)と知り合い、作品を買い上げてもらうことで生計を立てていた。京都国立博物館に須磨の遺族が寄贈した重松の作品が数点収蔵されている。


参考文献:
図録『大正新興美術の息吹 アクション展』(朝日新聞社、1989年)

参考ウェブ資料:
呉孟晋「須磨コレクションの日本人画家たち─京都国立博物館に日本の近代洋画があるわけ─」(京都国立博物館「よみもの」No. 69) http://www.kyohaku.go.jp/jp/kankou/haifu/yomimono_data/0069.html
  1. 2013/01/14(月) 18:00:00|
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難波慶爾

難波慶爾(なんば・けいじ) 1900年〜1924年

洋画家。岡山県生まれ。児島虎次郎および多多羅茂雄に指導を受ける。岡山の菴羅社展に出品。中央美術展に入選2回。1922年、第9回二科展に《横浜》を出品。マルケ風の風景画を描く。同年、中川紀元、神原泰、古賀春江らとともに二科会系の前衛美術団体「アクション」の創立同人となる。一時、難波方に「アクション」の事務所が置かれる(註1)。関東大震災後、神戸の浅野孟府や岡本唐貴のアトリエに同居するが、病に倒れ、岡山で早世した。没後、1924年10月1日〜10日、神戸三宮のカフェー・ガス、さらに同月20日〜25日、東京神田の竹見屋で遺作展が開催された。


(註1) 「文芸消息」(『二六新報』1923年7月16日)

参考文献:
図録『大正新興美術の息吹 アクション展』(朝日新聞社、1989年)
  1. 2013/01/13(日) 09:00:00|
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