古賀春江資料室

洋画家・古賀春江(1895-1933)のデータベースを制作中です。

王丸勇

王丸勇(おうまる・いさむ) 1901年~1995年

精神医学者。福岡県久留米市出身。福岡県立中学修猷館(現・福岡県立修猷館高等学校)卒業後、九州帝国大学医学部に入学。下田光造に師事。1929年11月、九州高等医学専門学校(現・久留米大学医学部)神経精神医学講座開設の際に初代教授に就任。後に同大学医学部長。退任後、名誉教授。日本精神神経学会会長、日本精神分析学会会長、九州精神神経学会会長を歴任。病跡学(パトグラフィー)の大家として知られ、菅原道真、上杉謙信、千利休、徳川綱吉、乃木希典など、歴史上の人物にまつわる病跡学的な論考を『日本病跡学雑誌』『日本医事新報』『臨床科学』などの医学雑誌に最晩年まで精力的に発表し続けた。また、小田晋によると、夢野久作はその精神医学的知識を王丸から得ていた(註1)。著書に『持続睡眠療法』(金原出版、1959年)、『病跡学から見た松平忠直・徳川家光・徳川綱吉』(歴史図書社、1970年)、『菅原道真』(金剛出版、1980年)、『千利休と村田珠光』(近代文芸社、1986年)など。1976年から1977年にかけて、同郷の古賀春江にまつわる病跡学的な論考を『日本病跡学雑誌』に発表している(註2)。その論考の主旨は、「進行麻痺のような破壊的疾患過程もその初期には生産性やときには創造性を促進することも考えられる」というものである。


(註1) 「『『変態心理』と中村古峡』(小田晋ほか編)から」(「神保町系オタオタ日記」2006年1月11日投稿) http://d.hatena.ne.jp/jyunku/20060111/p1 2013年1月20日閲覧
(註2) 桜井政行、王丸勇「前衛画家・古賀春江(1)」 『日本病跡学雑誌』12号(1976年7月)pp.49-51
    桜井政行、王丸勇「前衛画家・古賀春江(2)」 『日本病跡学雑誌』13号(1977年5月)pp.34-35
    王丸勇「進行麻痺と芸術―古賀春江の場合」 『日本病跡学雑誌』14号(1977年11月)pp.1-8
  1. 2013/11/13(水) 16:31:48|
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長門佐季

長門佐季(ながと・さき) 1970年〜

美術館学芸員。神奈川県横浜市生まれ。聖心女子大学文学部哲学科卒業。現在、神奈川県立近代美術館主任学芸員。手掛けた展覧会図録に『旅のシンフォニー/パウル・クレー展』(中日新聞社、2002年)、『彫刻家 堀内正和の世界展』(神奈川県立近代美術館、2003年)、『小宇宙(ミクロコスモス)への情熱 美浦康重版画コレクション展』(神奈川県立近代美術館、2008年)などがある。また、編著に『岸田劉生(新潮日本美術文庫41)』(新潮社、1998年)、共著に『フランス美術基本用語』(大修館書店、1998年)、『大正期新興美術資料集成』(国書刊行会、2006年)、訳書にエクベルト・バケ、カトリン・ヴィーテゲ『アンリ・マティス ジャズ(岩波アート・ライブラリー)』(岩波書店、2009年)などがある。「新しい神話がはじまる。古賀春江の全貌」(石橋美術館・神奈川県立近代美術館、2010年)の企画に携わり、図録に「浮遊するイメージ―古賀春江」を寄稿(註1)。


(註1) 長門佐季「浮遊するイメージ―古賀春江」 図録『新しい神話がはじまる。古賀春江の全貌』(東京新聞、2010年)pp.171-175
  1. 2013/11/13(水) 16:29:29|
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岡吉枝(古賀好江)宛絵葉書 大正5年4月18日

   大正五年四月十八日(消印)〔東京〕 春江
     久留米市櫛原町一丁目 岡吉枝様

 あヽア 物憂い雨が降ります 薄暗い空からシヨボ/\と降ります 机の前の檜の葉が重々しく揺れております 私の生命を圧え付ける様に。都では至る所に花が咲いてゐます 人が出てゐます 劇場と活動小屋と これ等は人いきれで目が眩む程だと想像してゐます 帝劇の□□ネーにでもゆきたいと思つてゐます 身体のために少し位暖い日を出歩くのもいーでせう 放水路にもサツサとお出でなさいまし 「◯◯へ」とは何所へ? 昨日は上野へ行きました 旧の友に逢ひました。二三のみづゑは何所を探してもありませんから代りに文世の四月号を送つておきます 散文のカナリヤといふのを読んでごらん



底本:古賀春江文集『写実と空想』(中央公論美術出版、1984年)p.291
  1. 2013/11/13(水) 00:57:39|
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松田實(諦晶)宛書簡 大正4年3月8日

   大正四年三月〔#「三」を四角の枠で囲む〕八日(消印) 〔長崎市〕立山町一〇 小川氏方〔#「小」を四角の枠で囲む〕 春江  〔絵葉書〕
     久留米市京町一丁目 国友様方 松田みのる様

 一、君果てし祐野が原に来て見れバ 萩の小袖に秋風ぞ吹く──
 みいしやん 大磯の虎が愛人《おもいもの》十郎祐成に扮したのは誰だとお思ひですか──六日の晩──その夜あの祐成に一言の言葉もかけ得ず帰つたのはシンから情なう厶《ござ》いました 帰りには雨が降つて泪を益せとシヨツポリ濡らしました こゝえ来てから一度も逢ひません

   〔絵葉書裏〕
 二、可愛想だと思つて下さい〔#「下」を四角の枠で囲む〕 いつそ逢はれないならあんなことを見せて呉れネばいーにと思ひます
 逢はれないについてはウント込み入つたことが出来ました
 みいしやん ひよつとしたらあなたのお力を借らねバなりません どうか一人の人間をお助けなすつて下さる様に幾重にも/\お願い申します お助け下さいま〔す〕か 七日夕



底本:古賀春江文集『写実と空想』(中央公論美術出版、1984年)p.295
  1. 2013/11/13(水) 00:55:54|
  2. 書簡
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作家に関する文献 展覧会目録・図録

目録『古賀春江氏遺作水彩画展』 1933年10月4日~10月8日 銀座紀伊國屋ギャラリー
目録『古賀春江遺作回顧展覧会』 1935年7月20日~7月30日 新宿紀伊國屋書店ギャラリー
目録『古賀春江遺作展覧会』 1941年2月15日~2月18日 銀座資生堂ギャラリー
目録『古賀春江遺作油絵水彩展覧会』 1941年5月12日~5月15日 日動画廊
目録『第34回二科・古賀春江回顧展』 1949年9月1日~9月19日 東京都美術館
目録『小出楢重・古賀春江展』 1953年12月1日~1954年1月31日 神奈川県立近代美術館
目録『歿後25年記念 古賀春江展』 1958年6月1日~6月30日 石橋美術館
目録『異色作家展シリーズ第29回 古賀春江展』 1963年6月7日~6月12日 渋谷東横 東館7階画廊
 河北倫明「古賀春江の芸術」n.p.
目録『古賀春江の水彩』 1965年3月16日~3月28日 東京国立近代美術館
図録『古賀春江回顧展─生誕80周年記念─』 1975年11月9日~11月30日 福岡県文化会館
 河北倫明「古賀春江の芸術」n.p.
 北川冬彦「古賀春江の詩について」n.p.
 古賀春江「詩抄」「水絵の象徴性に就いて」「超現実主義私感」「早春随想」pp.91-98
 川端康成「死の前後」p.99 ※再録
 杉本勝次「おもかげの古賀春江君」p.100
 神原泰「古賀春江君とアクション―時代の証言の資料として―」pp.101-102
 中野嘉一「『リアン』と古賀春江氏」p.103
 東郷青児「古賀君の思い出」p.104 ※再録
 坂宗一「サーカスの景」p.105
 高田力蔵「古賀春江・川端康成・私」pp.106-108
 古川智次「古賀春江の書簡」pp.109-117
 古川智次編「年譜」pp.105-135
 古川智次編「文献」pp.136-138
目録『古賀春江資料展』 1976年6月26日~7月25日 北九州市立美術館
目録『詩情と幻想の画家 古賀春江展』 1981年4月5日~4月12日 大牟田市・いづみ画廊
図録『生誕100年 松田諦晶展』 1985年10月19日〜11月24日 石橋美術館
図録『古賀春江―前衛画家の歩み』 1986年4月12日~5月18日 石橋美術館/1986年5月24日~6月29日 ブリヂストン美術館
 阿部良雄「モダニズムとメタフィジック―古賀春江の魅力について―」pp.8-13 ※『イメージの魅惑』(小沢書店、1990年)に再録
 古川智次「古賀春江―その多彩な表現―」pp.14-15
 杉本秀子「古賀春江・苦闘の跡」pp.174-176
 杉本秀子編「古賀春江年譜」pp.177-184
 杉本秀子編「文献」pp.185-193
図録『日本のシュールレアリスム 1925−1945』 1990年10月10日〜11月25日 名古屋市美術館
 山田諭「古賀春江」pp.44-47
図録『古賀春江―創作のプロセス』 1991年12月21日~1992年3月1日 東京国立近代美術館
 田中淳「序論:古賀春江―変幻の背後にあるもの」pp.6-14
 松村恵理:作品解説
 田中淳編「年譜」pp.111-117
 田中淳編「主要文献目録」pp.118-122
図録『パウル・クレーの芸術』 1993年4月2日〜5月23日 愛知県美術館/6月1日〜7月25日 山口県立美術館/7月31日〜9月21日 Bunkamuraザ・ミュージアム
 寺門臨太郎「クレーと日本:受容の端緒」pp.30-37
図録『麗しき前衛の時代―古賀春江と三岸好太郎』 1996年5月18日~6月19日 茨城県近代美術館/1996年6月25日~7月25日 石橋美術館
 小泉淳一「麗しきかな、かの前衛の時代」pp.7-13
 地家光二「三岸好太郎―前衛の行方」pp.14-16
 杉本秀子「比較の試み―古賀春江と三岸好太郎」pp.17-19
 小泉淳一編「古賀春江/三岸好太郎 関連年譜」pp.219-227
 杉本秀子編「主要文献」pp.228-237
図録『コレクションの文化』 1997年1月4日〜2月2日 神奈川県立近代美術館
 長門佐季「響き合う「古い歌」―川端康成と古賀春江」n.p.
図録『モボ・モガ 1910−1935』 1998年5月17日〜6月28日 神奈川県立近代美術館
 山梨俊夫「アドバルーンの下で―彷徨者の視点と思想」pp.223-230
図録『コレクション万華鏡―8つの箱の7つの話』 1998年9月13日〜10月25日 三重県立美術館
 毛利伊知郎「古賀春江《煙火》」pp.127-128
図録『川端康成生誕100年記念 横光利一と川端康成展』 1999年4月24日〜6月6日 世田谷文学館
 第四章 川端文学の抒情と非情
 酒井忠康「川端康成と古賀春江」pp.129-136
図録『古賀春江 創作の原点 作品と資料でさぐる』 2001年4月28日~7月1日 ブリヂストン美術館/7月7日~9月2日 石橋美術館
 森山秀子(展覧会ガイド)
 森山秀子「古賀春江年譜」pp.58-61
 森山秀子「資料目録」pp.66-95
図録『時代と美術の多面体―近代の成立期に光をあてて―』 2007年1月13日〜3月25日 神奈川県立近代美術館
 Ⅷ モダニズムの詩と造形
 長門佐季「開かれる言葉/イメージ」pp.101-112
図録『文豪が愛した美の世界―川端康成コレクション展』 2010年4月10日〜6月6日 茨城県近代美術館
 小泉淳一「川端康成と古賀春江―『末期の眼』の意味するところ」pp.140-141
図録『新しい神話がはじまる。古賀春江の全貌』 2010年7月3日~9月5日 石橋美術館/2010年9月18日~11月23日 神奈川県立近代美術館
  1. 2013/11/13(水) 00:48:38|
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浅野孟府

浅野孟府(あさの・もうふ) 1900年1月4日〜1984年4月16日

彫刻家。東京都出身。本名・猛夫。東京築地工芸学校建築科を卒業後、1918年、東京美術学校彫刻科専科に入学、北村西望に師事。同年、日本美術院展に入選。1920年、第1回未来派美術協会展に出品。1921年、岡本唐貴とともに戸田海笛のもとで木彫を学ぶ。この年、戸田とともに未来派美術協会会員に推挙され、第2回展に浅野草之助として出品。1922年、東京美術学校を中退。この年、二科展に入選。三科インデペンデント展に浅野孟府の名で出品し、同年、中川紀元、神原泰、古賀春江らとともに二科会系の前衛美術団体「アクション」の創立同人となり、二科会彫刻部草創期の数少ない出品者の一人として活躍。関東大震災後は神戸に移り住み、岡本らと「DVL」を結成し、創作・発表活動の拠点とした。関西ではほかに、関西学院の学生らが中心となって発行した詩誌『横顔』(1924年11月創刊)に、岡本とともに同人として名をつらね、第1、2、4、6号の表紙を幾何学的構成の木版画で飾り、第3号には表現主義的作風の木版画を提供した。また写真家の淵上白陽発行の美術雑誌、『造型』(1925年4月)を編集している。1924年、アクションの分裂後、神原、岡本、矢部友衛、村山知義らと三科造型美術協会を結成、前衛美術運動を展開する。1925年、神原、岡本、矢部らと「造型」を創立。1927年、このグループを再編して「造型美術家協会」と改め、プロレタリア美術運動に突き進んだ。1929年、日本プロレタリア美術家同盟(PP)結成に参加。1930年、大阪に移住。新興人形劇団「トンボ座」を結成する。1931年、大阪プロレタリア美術研究所を設立。1937年、陶芸研究のため野崎村に窯を開き移住。1940年、徴用されて、松下飛行機工場、東宝映画に勤務する。昭和初期は前進座大阪初公演「歌舞伎王国」、戦旗構成合同公演「太陽のない街」などの舞台美術も手がけた。1936年、アーノルド・ファンク、伊丹万作共同監督による日独合作映画「新しき土」、1942年、山本嘉次郎監督「ハワイ・マレー沖海戦」などの特殊撮影を担当。戦後は二科会の再建に参加して会員となるが、1955年、高岡徳太郎、鈴木信太郎らと一陽会を創立し、植木力とともに彫刻部の指導的立場にあって出品を続ける。1970年、ギリシア旅行。1972年、大阪彫刻家会議初代会長に就任。1973年、大阪芸術賞受賞。肖像彫刻ではモニュメンタリティを加えつつ写実的作風を示したが、自由な制作においては写実にとらわれず、対象の形を簡略化、理想化した。初期作品にはアーキペンコの影響が強く見られる。また、戦後も彫刻制作の傍ら、舞台美術も続けた。1984年、大阪市東区で死去。作品集に『浅野孟府彫刻作品集』(浅野孟府彫刻作品集刊行委員会、1986年)がある。


参考文献:
『美術家人名事典―建築・彫刻篇―古今の名匠1600人』(日外アソシエーツ、2011年)
  1. 2013/11/09(土) 00:00:00|
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米田雄郎

米田雄郎(よねだ・ゆうろう) 1891年11月1日〜1959年3月5日

奈良県生まれ。本名・菊次。18歳のころから短歌を始め、1911年、自由律短歌で一時代を築いた歌人・前田夕暮に師事し、近代的感覚に富む歌風で大正から昭和前期にかけて関西の短歌界を先導した。1918年から滋賀県蒲生郡桜川村石塔(現・東近江市石塔町)の極楽寺住職となる。1952年、歌誌『好日』を発刊し主宰する。北原白秋、斎藤茂吉、若山牧水ら歌人や俳人の種田山頭火、洋画家の野口謙蔵ら当時の著名文化人と親交があった。古賀春江は「早春随想」で米田の「静やかに輪廻生死の世なりけり 春来る空の霞してけり」という歌を引用している(註1)。


(註1) 中野嘉一『古賀春江 芸術と病理(パトグラフィ叢書11)』(金剛出版、1977年)p.169

参考ウェブ資料:
山田吉郎「米田雄郎ノート―初期『詩歌』同人と前田夕暮―」(『山梨英和短期大学紀要』27号 pp.45-59、1993年12月) http://ci.nii.ac.jp/els/110000990293.pdf?id=ART0001168927&type=pdf&lang=en&host=cinii&order_no=&ppv_type=0&lang_sw=&no=1383434306&cp= 2013年11月3日閲覧
  1. 2013/11/03(日) 09:00:00|
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