古賀春江資料室

洋画家・古賀春江(1895-1933)のデータベースを制作中です。

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尾川多計

尾川多計(おかわ・たけい) 1906年〜1945年10月12日

美術評論家。東京生まれ。川端画学校洋画部に学び、美術雑誌『アルト』『中央美術』や三省堂の広報誌『エコー』等の編集をした後、毎日新聞社に入り、文化部嘱託として美術評論を担当。1939年12月、「大月源二作品頒布会」の賛助員に名を連ねる(註1)。同年、『福井謙三画集』(造形文化協会、1939年)を編纂。1940年12月、「美術問題研究会」の発起人に名を連ねる(註2)。1945年10月12日、交通事故のため逝去。没後、尾川可住『途上にて 尾川多計美術評論遺稿集』(私家版、1991年)が編纂された。古賀春江のシュルレアリスム風絵画については手厳しい評価をしており、「二科の九号室―現実遊離主義の諸作品―」(『アトリヱ』8巻10号、1931年10月)で「先づ古賀氏の「現実線を切る主智的表情」をとつて見る。これは「感傷の生理に就いて」と共に古賀氏の力作(?)らしいが、画面は、鋼鉄製のロボツトが馬に乗つて障碍物を越さうとする所を、断髪に乗馬服のモガが、モーゼルの軽機関銃を構へて今正に打たうとしてゐる処である。思ふに古賀氏は、そのジヤーナリステイツクな神経を以て、エロテイシズムとメカニズムとそれに映画的な要素さへあれば最も尖端的な作品が出来ると考へたらしい。この事は「感傷の生理に就いて」に於ても言はれ得るが、彼のその意図は、彼が前述の三要素を正しく理解してゐない事によつて明かな失敗に終つてゐる。」「要するにこれは、今までの芸術至上主義的作品から次第に離れて行く一般観衆を、唯単なる題材及び画題への好奇心のみで引留めようとする悲しき努力の表れに過ぎないのであつて、而も之は古賀氏一人の作品のみではなく、この室全体に亘つての傾向である。」と述べている(註3)。


(註1) 鶴見太郎「旧無産芸術運動家による戦時下絵画頒布会」(『早稲田大学大学院文学研究科紀要 第4分冊』49巻 pp.3-13、2003年) http://dspace.wul.waseda.ac.jp/dspace/bitstream/2065/8590/1/81044_49.pdf 2014年2月27日閲覧
(註2) 「AICA JAPAN Background 美術評論家連盟結成経緯」(AICA JAPAN 国際美術評論家連盟日本支部) http://www.aicajapan.com/about/background.htm 2014年2月27日閲覧
(註3) 尾川多計「二科の九号室―現実遊離主義の諸作品―」 『アトリヱ』8巻10号(1931年10月)

参考ウェブ資料:
「尾川多計―『日本美術年鑑』(当研究所刊行)所載物故記事 1945年」(東京文化財研究所) http://www.tobunken.go.jp/japanese/bukko/1945.html 2014年2月27日閲覧
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  1. 2014/02/28(金) 21:00:00|
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志保谷達郎

志保谷達郎 生没年未詳

美術評論家。1920年代末頃から1930年代初頭にかけて美術雑誌『美之國』に展覧会評を書いていたことが確認されているがそれ以外のことは不明。古賀春江に対しては手厳しい評価を下しており、「二科展洋画評」(『美之國』4巻10号、1928年10月)には「古賀春江氏「蝸牛のゐる田舎」「山の手風景」は綺麗な継ぎ交ぜの程度で感じが甚だ浅い。パウル・クレーの様に幼い眼で分析する様な明晰な意図は表れてゐない。」と(註1)、「二科展評」(『美之國』5巻10号、1929年10月)には「古賀春江「海」など。氏の作には何等進歩の跡を認め得ない。作意を難ずるでない。出来栄えが少しも好くないのだ。是では独逸あたりの後表現派の末輩にも及ばぬと言はねばならぬ。」と書いている(註2)。


(註1) 志保谷達郎「二科展洋画評」 『美之國』4巻10号(1928年10月)
(註2) 志保谷達郎「二科展評」 『美之國』5巻10号(1929年10月)
  1. 2014/02/26(水) 22:00:00|
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荒城季夫

荒城季夫(あらき・すえお) 1894年1月10日〜?

美術評論家。東京都生まれ。1917年、早大英文学科卒。1925年に日仏芸術社に勤め、後に『日仏芸術』編集主任。1930年、日本美術学校教授、のち理事長。美術評論家として活躍。美術批評に科学的方法論の必要性を唱えた点で、その近代性が評価される半面、芸術の社会的な統制を安易に容認し、戦時下の美術統制を受け入れる弱点を有していたと批判される。とくに陸軍省情報部員と行った雑誌『みづゑ』(1941年1月)誌上の座談会「国防国家と美術」は、戦時下の美術統制に関する資料として歴史的に重要である。著書に『近代フランス絵画思潮論』(綜合美術研究所、1936年)、『古代美と近代美』(青磁社、1943年)などがある。1929年から1933年にかけて、美術雑誌で古賀春江の二科展出品作を評し、「二科に於ける近代性」(『みづゑ』296号、1929年10月)では「「海」や「鳥籠」に描かれたやうに機械美に対する人間の感情を暗示したところは、少しく説明に過ぎて響いてくるものが少いけれども、他の三作は此の人本来の純情を盛つたもので、微笑ましい限りである。中でも「素朴な月夜」は童話味たつぷりな美くしい抒情詩である。」と述べ、シュルレアリスム風の作品よりもクレー風の作品を高く評価している(註1)。


(註1) 荒城季夫「二科に於ける近代性」 『みづゑ』296号(1929年10月)pp.4-7

参考文献:
「荒城季夫」(文責:岡部幹彦) 『現代日本朝日人物事典』(朝日新聞社、1990年)p.82
  1. 2014/02/26(水) 19:00:00|
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