古賀春江資料室

洋画家・古賀春江(1895-1933)のデータベースを制作中です。

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日本水彩画会展覧会感

 あんまり書くことはないが大体に就いて思ひつくことを言つて見ますが総体にどうも少し低調だと思ひます。芸術的感激といふやうなものが不足してゐるのが第一にいけないし材料の無理な使用が第二にいけないと思ひます。
 芸術的感激といふことはこれは望んだ所で一寸どうにもならない、其の人々の生活なり気質なり心掛けなりのことでこういふ風にしたらよいと型に嵌めて注文するわけにもゆかない。然しそういふ感激がなくては画はだいたい描けないもので描く必要もないものだ。内から湧く要求と感激がないならはじめから画は描けない、要求や感激の強弱に正比例して画の強弱も出来る。この会の大体を見て私はそれが甚だ弱い方に属すると思つた。
 材料の無理な使用といふことは水彩画会研究所時代からの持ち越しの問題のやうに思ふ。油絵的見方なり感じ方なり表はし方なりと水絵のそれと混同されてゐる──と、この言い方は変だが、そんならどういふのが油絵的手法でどういふのが水絵的手法だと言はれると面倒臭くてこゝで書けないが兎に角現在私達が展覧会等で接する作品の大多数は油絵だし自然不知不識の間に油絵的教養を受けてゐる。謂はゞ日本生活の油絵的表現に画家の気質が沁み込んでゐると思はれる。それを水彩画だけで表現するとなると甚だ不自由である。何だか自繩自縛といつた気がする。意識的な個性だとか水彩画家だ等といふ考を捨てゝ終つてもつと心持も態度も自由であつてほしいと思ふ。これは永い間に水彩画会型と言はれた型さへこしらへ上げて他からの様々な刺激に一切無感覚となつたのではないかと疑はれる程だが又その後から来るより若い人達までが何時の間にか水彩画会型を被り水彩画会的身振りでやつて来るやうな感さへある。
 水絵の人はよく「油絵の中へ入れると水絵は損をする」といふがそれが当然であつて損をしてゐるのは水絵そのものゝ罪でなく水絵作者の罪だと思ふ。
 何だか材料の特長論見たやうになりかゝつたが例へば後藤工志氏の諸作にしてもその努力も効果も私は大いに認めるけれども、これだけのことでこれ以上どういふ風に進展出来るかと思ふ時甚だ心細くなる。こういふ風な見方なり感じ方なりで行つたらもつと色にも調子にも細かに/\と入り込んでゆきたくなるだらう。それを途中で材料の為に諦めて切り上げてゐるやうに見える。これは氏が水絵の材料を知悉してゐるためにこれ以上描いて材料を殺すことを警戒してゐるのである。氏のやうな行き方だつたら油絵の方が適してゐると思ふ、油絵だつたらもつと仕事が続けられる。
 相田直彦氏にしても望月省三氏にしてもその他水野以文氏、吉田豊氏、吉崎勝氏、平沢大氏等同じ感想を持たされる。諸氏は皆よく水絵の材料を知つてゐるが故に却つて表現が狭められ歪められて、画因が素直に画面へ出てゐない。所謂水絵的画面になつてゐる。これは私の最初に言つた水絵的といふ意味とは違ふ。
 小山周次氏の諸作は明るく透明で所謂水絵らしい水絵とも言はる可きもの。作者の受感や材料駆使の用意や同感出来る。「懐古園」は仲々善い。
 河上左京氏の一点は例の如き静物。同じやうな題材を繰り返し/\描く根気に感心する。時々は方面を換へて見てはどうか。
 赤城泰舒氏の作は甚だ興味がある。何か見出さうと努力してゐる。実に小心にではあるが型をつくるまいとする何か新鮮なものへの憧れがある。一作一作を挙ぐれば失敗もあるし所詮未完成だがそれ故に私は同感である。

 水彩画専門でない人、油絵を主として水彩も時々は描くといふ人達の作品の方が一般の評判通りに私も面白いと思ふ。而して私の言ふ水絵らしい水絵といふものが水絵専門の人のには少くて却つて油絵をやつてゐる人の水絵にあると思ふ。
 林重義氏の一点は氏として失敗の作だがそれでも画としての面白さを充分持つてゐる。色など仲々面白い。
 富田温一郎氏の諸作も善いと思ふ。「裸婦」や「椿と鶏」等のんびりとしてゐる。
 木下義謙氏の二点はたど/\しい筆致の中に純朴な画面を保つてゐることは氏の油絵と共通してゐる。「花と鳥」の鳥は仲々うまいと思ふ。
 田口省吾氏は人物ばかり三点出してゐるが、それ/″\に面白い、「顔」が中で一番勝れてゐる。
 吉田卓氏は綺麗な小品を出した。巧妙なものだが少し綺麗過ぎたやうに思ふ。
 小林和作氏の二点も豊麗だが形が少しくづれた憾みがある。
 一一書いて行けば長くなるから以下印象に残つた作だけ大急ぎで列記する。
 宮坂春三氏は静物二点共、色も美しいし調子も調つてゐる。
 斎藤大氏の「横浜港」他二点共渋滞なく出来てゐる。色がいい。
 無縁寺心澄氏の作品は以前から面白いと思つてゐるが今年は昨年のより善いと思ふ。しかし色の大摑みはよいがその中に何所か細かな変化があつて欲しい。
 田中謹吾氏の二点は美しい色で丁寧に描いてある。二点共に好きである。
 井上安男氏の筆は少し軽く動き過ぎると思ふが面白い所もある。茶つぽい色が気になるが。
 不破章氏は不透明色の使用に苦心してゐるらしいが効果は少し重苦しくなつてはゐないか。
 中西利雄氏は器用でうまい。明るくすつきりと出来てゐるが器用過ぎる惧れがある。
 間所一郎氏は元気にやつてゐるが色と調子に今一考ほしいと思ふ。
 高田力蔵氏はうまくなつたと思ふ。「花」「静物」は手古摺つてゐるが風景三点は皆面白い。
 小山良修氏は元気一杯で仕事をしてゐる。作画の気持に同感である。色も善い。
 河野健美氏は少し弱々しいやうに思ふ。
 その他、星野正三氏の「花」。花厳厳氏の「舟着場」。富田佳秀氏の四点。早川国彦氏の二点。五島甚之助氏の「静物」等それ/″\注意を牽かれた。



初出:『中央美術』13巻3号(1927年3月)pp.164-170
底本:古賀春江文集『写実と空想』(中央公論美術出版)p.253-256
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  1. 2013/12/27(金) 02:32:59|
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