古賀春江資料室

洋画家・古賀春江(1895-1933)のデータベースを制作中です。

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第六回槐樹社展覧会感

 第一室
 松島蘇順氏の「冬の静物」。カーテンの紫、地のオークルジヨン、金魚鉢のコバルトに朱の金魚は美しい。「金魚鉢」といふのもカーテンの模様等仲々美しいが二作共少し対象の説明を欠いてゐる。故意にそうされたのかも知れないが。
 田中国雅氏「石切場」の白つぽい色は美しいが髪毛のやうな近景の草は失敗と思ふ。
 渡辺百合子氏の「窓」は固過ぎる。子供等殊に。色は悪くないと思ふ。
 浅見崇子氏の四点は物象の大摑みな観方と素朴な表現とが一致して面白いと思ふ。猫を抱いてゐる肖像など佳作である。
 松田康一氏の「涅槃」は相当の力作だがその故意に為した古色めいた色が単調で構図も平凡である。線がよろけてゐるのも欠点だと思ふ。
 馬越桝太郎氏の「風景」は未完成品らしいが色の感覚もよく構図も考へられた作である。筆も達者だが第一に全体の立体感が善い。
 野沢戻次郎氏の二作は少しセンチメンタルである。造型的に弱い。
 第二室
 宮部進氏の諸作は従来の点描から形の描写へ移らうとしてゐる。写形がそれだけ確実性を帯びて来たと思ふ。四点の中では「梧桐」「梅」を好む。「冬の風景」は少し色が乾き過ぎた。テムペラ「夏の池畔」は明快だが偏平である。
 田沢八甲氏の作は何か企画しながら明確に表現出来ない憾みがある。画面が部分的になる。白い緑は特色がある。
 佐竹徳次郎氏の三点では「静物」を採る。林檎がどれも同じやうで全体を弱めてゐる。
 胡桃沢源一氏の「歳寒二友その他の静物」の赤と青との色は悪るくない。
「紅女座像」は人物の形が崩れてゐるのが欠点と思ふ。
 田辺操氏の二点「花薔薇」の方が纒まつてゐて綺麗である。
 第三室
 川本浩三氏の「静物」は達者です。
 白井次郎氏の「室隅」は努力してあるが色が濁つた。形はよいと思ふ。
 宮崎栄治氏「河」。立体を出さうとしてゐる努力はわかるが充分に描き出されてない。
 窪田照三氏の四点の中静物二点は構図が変つてゐて一寸面白い。「網代港」は温雅な作である。
 小森田三人氏の諸作。「冬の海」は波が堅い。筆が全体にカサ/\になる憾みがある。中で小品「椿」を採る。
 甲斐麻氏の「静物」は綺麗。
 小菅スイ氏「花と果物」は全体の青い調子もよく花も美しい。テーブルの布の赤もよく利いてゐる。佳作と思ふ。
 第四室
 田辺至氏の作は例に依つてどれも綺麗です。「薔薇の庭」細心に叮寧な作。「静物」は青い水差しと赤い背景の布、白いテーブルクロス、タカツキの上の黄色い果実等美しい佳作。一三七の「裸体」は落ちついた色。描写が確実です。
「初夏の庭」は前の「薔薇の庭」と同系の作。細心な点描的手法の中によく奥行のある佳作。
 油谷達氏の諸作は少しまとまりが無い。大作は殊に雲、樹木、畑とそれ/″\のものが同じやうな物質に見える。中で小品「村の造船所」を採る。
 大久保作次郎氏の「波太海岸」は岩が少しどんよりして鈍い。「朱衣婦人像」は確つかり出来てゐるが人物の顔や手の色が気になる。背景や椅子や着物等善いと思ふ。「冬の磯」は佳作。「婦人座像」は暗過ぎ固過ぎはしないだらうか。大作風景「池畔の春」は努力の作と思ふが青黒い緑が単調に見える。「浜の女」は感傷的でいけない。
 第五室
 金沢重治氏の諸作は所謂印象派風のもので色は皆美しいがズツと並んでゐるのを見るとどれも一様に見える。色彩のために形を逃がしてゐる所がありはしまいか。色と形が両立するといふ事は勿論至難なことに相違ないけれども、矢張り形や質といふものも欲しい。「鎌倉風景」「春の山門」等佳作と思ふ。然しどの作も美しい。
 熊岡美彦氏の作では「ミモザ」「ブルターニユ少女」「カーニユ風景」「少年」等は善いと思ふ。全体に少し物々しく固苦しいやうに思ふ。大作「裸体」等親しめない。
 吉村芳松氏の作は温雅な落ちついた色で気持よい。「三津風景」「早春の伊豆」「早春の丘」「犬吠岬」「椿の頃」みな善いと思ふ。「百合」も面白い。
 斎藤与里氏は善い色と簡約された形の中に一種の俳味とも言ふべきものを持つてゐるが決して気持悪るいものではなく極めて自然にそれが感ぜられる所が善い。「静物」「由布院雪景」「Yの像」「鞆の浦」「椿」「鞆の浦2」等佳作と思ふ。
 第六室
 牧野虎雄氏の作では「雛罌粟《ひなげし》」「躑躅の丘」「サンルーム」「鳥籠」等善いと思ふ。神経質的な筆も色も段々特色を持つて来る。
 奥瀬英三氏は相変らず〔の〕勉強である。風景諸作の中「午後の海」「春日野」「荒磯」等は稍もすれば乾燥する色彩から逃れて湿ひを持つてゐる佳作と思ふ。「静物」の黒い布の表現は仲々善い。「O君像」は確実に丁寧な肖像である。
 高間惣七氏は特殊な色彩の持主であるがあるひは今或る転換期に立つてゐられるかと思ふ。「窓」は暗いけれども美しい。「赤い鳥」を最も好む。
 第七室
 福田新生氏の「鉄工場」は直線ばかりで却つて表現を弱めてゐる。「ガラス工場」は取材は面白いが人物やその他の物体のそれ/″\の特長が描けてない為概念的な揷画染みた弱さがある。
 三田康氏の人物三点は特色ある佳作である。どつしりとして重々しく筆も善いし黝ずんだ色も決して不快ではない。「果樹園の秋」の籠と中の果実が変だが他の部分は善い。「少女」は殊に面白い。
 尾崎三郎氏の「仕事着の女」は確実に描けてゐるが色がも少し善かつたら猶更と思ふ。「起重機と鉄骨」は題の通り起重機と鉄骨をたんねんに写生したもの。
 堀田清治氏は大変な努力である。そして秀抜なる効果を挙げてゐる。大作三点敬服に値する。欲を言へば大作「集まれる労働者」の画面などは今少し明暗の大きな対立があつてよいと思ふ。画面の中の+と-、暗と明等が明瞭に組織されないとこの大きな画面は持たないと思ふ。左右の人物が同じ力で同じ色調で同じ明(或は暗)でその奥に又同じそれ等の人物が左右に並んでゐるのはこういふ画面として欠点である。人物の形もよく考慮されたものとは思ふがも少し写実的であつてもよくはなかつたかと思ふ。「鍛冶屋」と「クツ屋」は秀逸である。
 橋本八百二氏も堀田氏と同じく積極的な勤勉家である。その溌溂たる精神は人を撃つ。「裸婦群像」の如き大作にはその努力のみでも非常なものと思ふが然し此処でも構成上の不満を見出す。即ち人物の色彩、線、調子、明暗等が皆同じに見える欠点である。然し漸次それ等の不満も補はれる時が来る事を信ずる。
 岩井弥一郎氏の諸作は以前より大分変つて来たやうであるが今の所未成品といふ感がある。
 原子はな氏も色調は以前の引き続きであるが何か或る転向に在るやうである。
 第八室
 仲田菊代氏の二点は構図が面白い「卓上の花」の卓上の布の朱線は調子はづれである。花の色は善いと思ふ。
 高野真美氏の二点は面白いが素描が悪るい。
 及川文吾氏の「窓ぎわ」「少女」共に佳作。
 我孫子龍氏「新世界展景〔#「展」に「ママ」の注記〕」律動的な構図は善いが調子が足りない。
 第九室
 上野山清貢氏の作で一室を埋めてゐる。仲々の勉強である。青とガランスと紫、黄色の美しい色調は益々冴えを増して来る。写実的なものも空想的なものも共に面白いと思ふ。「蘇州城外横塘橋風景」「魚写生」二点「習作」(お酌三分一像)「少女半身像」支那服の「習作」等は特に優れてゐる。「海底を想像する男」といふのは題名が殊更らしいが佳作である。「群魚人魚」「海底の戯れ」は空想的なもので幾分模様じみて見ゆるが所々に鋭いものがある。「お酌半身像」は立派である。其他魚と人物と水との画稿数種夫々に面白いと思ふ。何よりも色が美しいしそれが溢れ出たといふ感じが善い。
 第十室
 園部晋氏の「静物」達者に描けてゐるが調子がバラバラである。丁寧をのぞむ。
 伊藤弥太氏も一寸面白い。中で「早春風景」が善いと思ふ。
 小林猶次郎氏の「唄」といふ作品も変つてゐる方である。
 第十一室
 佐々木慶次郎氏の「椿」と「菊」の二点、共に佳作。墨つぽい色もよし構図も善い。
 橘作次郎氏の三点は佳いと思ふが全体少しモヤ/\し過ぎたのと色の寒いのが欠点だと思ふ。
 亀高みよ子氏の「六月の窓」は白つぽい色調が悪るくない。女の青い着物と窓や椅子の赤い線とは美しい。窓外の緑も快よい。
 渡辺万吉氏の「静物」「椿」「玉葱」共に佳。
 鈴木誠氏「母子像」は相当に描いてあるけれども調子の足りないのが惜しい。「相想面」は大作だが少し了解し難い。「臥裸女」は色もよし面白いと思ふ。
 第十二室
 村田栄太郎氏の「秋の山」は色が善い。「夕近き南天畑」は素人らしい素朴な、同時に一寸調子の変な面白さがある。

 以上の他多数書き洩らした諸作があると思ひますが急ぐので時間がなく一通り観た印象だけを書きつけました。妄評多謝。



初出:『美術新論』4巻4号(1929年4月)pp.31-36
底本:古賀春江文集『写実と空想』(中央公論美術出版)p.265-271
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  1. 2011/02/21(月) 18:00:00|
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