古賀春江資料室

洋画家・古賀春江(1895-1933)のデータベースを制作中です。

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古賀政男

古賀政男(こが・まさお) 1904年11月18日〜1978年7月25日

作曲家。福岡県生まれ。幼い頃父と死別、一家で兄を頼っていまの韓国に渡り、ソウル(当時は京城)で商業学校を卒業。その後、大阪の兄のもとで奉公生活をしていたが、家出同然の形で上京。苦学しながら明治大学に学び、マンドリン倶楽部に入った。1928年、同倶楽部の演奏会に当時のスター歌手・佐藤千夜子の出演を頼み、自分で作詞作曲した処女作「影を慕いて」を発表。この曲は1932年、藤山一郎が歌ったコロムビア盤が大ヒットした。古賀自身は1930年にコロムビアに入社、1931年に藤山一郎とのコンビで「酒は涙か溜息か」をヒットさせ、中山晋平節に続く”古賀メロディー”を定着させた。半世紀にわたって書き続けた曲はおよそ5000曲といわれる。その他の代表曲に「丘を越えて」(1931年)、「青い背広で」(1937年)、「誰か故郷を想わざる」(1940年)、「湯の町エレジー」(1948年)、「トンコ節」(1949年)、「ゲイシャワルツ」(1952年)、「東京五輪音頭」(1963年)、「柔」(1965年)、「悲しい酒」(1966年)などがある。世を去るまで歌謡界の大御所であり続けた。没後、国民栄誉賞を受賞。古賀春江との出会いは「酒は涙か溜息か」のレコーディングを終えたばかりの頃で、この曲にすっかり魅せられた春江は代々木の政男の借家を好江夫人と同伴で訪れた。その後、春江の死まで2年ほど交友し、詩と音楽の話に花を咲かせた。春江が政男に贈った油彩《音楽》(古賀政男音楽博物館、1931年)は「酒は涙か溜息か」をモチーフにした作品である。
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