古賀春江資料室

洋画家・古賀春江(1895-1933)のデータベースを制作中です。

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峰岸義一

峰岸義一(みねぎし・ぎいち) 1900年〜1985年3月27日

洋画家、水墨画家。画号・魏山人。埼玉県生まれ。1925年、日本美術学校卒業。三科に出品。単位三科の会員となる。1928年、渋谷修らと「主情派美術会」を結成、同年9月に第1回展を開く。1929年5月、第2回展を開催。同年9月、渋谷、玉村方久斗と「カメレオニズム展」を開催。同年12月、渡欧(主情派美術会は解散)。パリでピカソとの知遇を得る。この時、ピカソは峰岸に、日本にはせっかく水墨画の伝統があるのに、なぜそれを捨てて顧みないのかと疑問を投げかけた。また、西洋に来て絵を学んで日本に帰るだけで画家になったつもりになる風潮を批判した。峰岸は「前衛水墨画」の実現を約束した。その代わり、ピカソに当時のフランス前衛美術の作品を日本に招来する約束をさせた(註1)。1930年、帰国。渋谷、山名文夫、山六郎、竹中英太郎らと「新興浪漫派」を結成するが、第1回展を開催しただけで解散する。1932年、日本で初めてフランス前衛美術を一挙に紹介した「巴里東京新興美術展」を招来。1933年、第20回二科展に《SAVONの過去》を発表して、古賀春江、東郷青児、阿部金剛とともに二科会における超現実主義傾向の代表的画家となる。同年5月頃より前記3名と日本で最初の前衛美術を標榜した洋画研究所となる「アヴァンガルド洋画研究所」の開設を協議。古賀の没後、同年9月頃に開設された。1938年、二科会内の若手前衛画家グループ「九室会」の発起人となる。1941年、二科会会員。太平洋戦争中、空襲でアトリエが爆撃され、戦前期の油彩の大半を消失する。これを契機に水墨画に本格的に取り組むこととなった(註2)。また、洋画の方では後年は抽象的な作風へと移行した。1948年、二紀会会員。後に名誉会員。1954年、中川紀元、津田青楓、小川千甕、棟方志功、近藤浩一路、水越松南らと日本水墨派展を日本橋三越で開催。1965年、「墨の国展」を日本橋東急で開催。美術関係の著書に『聊斎志異絵巻』全3巻(美術出版社、1962〜65年)、『墨絵入門』(実業之日本社、1970年)、『魏山人大画冊』(実業之日本社、1976年)などがある。また、『丁半』(朱雀社、1958年)、『女太平記』(総合企画、1963年)などの小説や『お好み青色申告』(美和書院、1956年)などのポルノエッセイも上梓している。


(註1) 峯岸魏山人『墨絵入門』(実業之日本社、1970年)pp.20-21
(註2) 峯岸魏山人『墨絵入門』(実業之日本社、1970年)p.22

参考文献:
『原色明治百年美術館』(朝日新聞社、1967年)
峯岸魏山人『墨絵入門』(実業之日本社、1970年)
図録『日本のシュールレアリスム 1925〜1945』(名古屋市美術館、1990年)
岩瀬行雄・油井一人編『20世紀物故洋画家事典』(美術年鑑社、1997年)
市道和豊『渋谷修 アバンギャルドから消された男』(室町書房、2011年)
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