古賀春江資料室

洋画家・古賀春江(1895-1933)のデータベースを制作中です。

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
  1. --/--/--(--) --:--:--|
  2. スポンサー広告

阿部金剛

阿部金剛(あべ・こんごう) 1900年6月26日〜1968年11月20日

洋画家。岩手県盛岡市生まれ。父は東京府知事を務めた阿部浩。東京府立第一中学校を経て、1924年、慶應義塾大学文学部予科中退。在学中から岡田三郎助に師事。1926〜27年渡仏。アカデミー・ランソン、アカデミー・ジュリアンに学び、ビッシェールに師事する。また、藤田嗣治、キスリングらの影響を受け、東郷青児と交友を結ぶ。帰国後の1928年末か翌年初めに、東郷を介して古賀春江と知り合う。1929年1月、「東郷青児・阿部金剛油絵小品展」(新宿・紀伊國屋画廊)開催。同年9月、第16回二科展に青と白を主調色とした都会的な感覚による理知的な作品《Rien》のシリーズを出品して、古賀、東郷とともに同展の超現実主義傾向の代表的画家となり、「モダン・ボーイ」と呼ばれた。この《Rien》シリーズは、前衛詩人・竹中久七が主宰する詩誌『リアン』創刊のきっかけとなった(この関係から阿部は『リアン』第2集から第7集まで装幀・挿絵などで参加)。1930年、三宅艶子(後に評論家)と結婚(後に離婚)。同年、日本水彩画会会員に推挙。1931年、『阿部金剛画集』(第一書房、1931年)刊行。1933年5月頃、古賀、東郷、峰岸義一の3名と日本で最初の前衛美術を標榜した洋画研究所となる「アヴァンガルド洋画研究所」の開設を協議。古賀の没後、同年9月頃に開設された。1938年、二科会の若手前衛画家グループ・九室会に参加。1942年、二科会会友。太平洋戦争により戦前期の作品の大半が失われる。1947年、二科会会員。以後、東郷らと二科会の中心的存在となる。戦後は抽象的な作風に移行する。1960〜67年、メキシコ、アメリカに滞在。著書に『シュールレアリズム絵画論(新芸術論システム)』(天人社、1930年)。また、萩原朔太郎『詩人の使命』(第一書房、1938年)など、数多くの著名作家の著書の装幀を行う。大谷省吾編『阿部金剛・イリュージョンの歩行者(コレクション・日本シュールレアリスム10)』(本の友社、1999年)に詳しい。古賀の没後の1934年、一周忌追悼会(上野・揚出し)に参加(註1)。1944年、浄土宗善福寺境内に建立された古賀春江供養塔の発起人に名を連ねる(註2)。1953年、二十一回忌追悼会(上野・春性院)に参加(註3)。


(註1) 古川智次編『近代の美術36 古賀春江』(至文堂、1976年)p.89
(註2) 図録『新しい神話がはじまる。古賀春江の全貌』(東京新聞、2010年)p.187
(註3) 古川智次編『近代の美術36 古賀春江』(至文堂、1976年)p.90

参考文献:
図録『日本のシュールレアリスム 1925〜1945』(名古屋市美術館、1990年)
岩瀬行雄・油井一人編『20世紀物故洋画家事典』(美術年鑑社、1997年)
図録『TOHOKU/TOKYO 1925−1945』(読売新聞社、2000年)
速水豊『シュルレアリスム絵画と日本 イメージの受容と創造』(NHKブックス、2009年)

参考資料:
「名画発見!その5 阿部金剛《旅愁》SM 1936 平園賢一」(梅野記念絵画館) http://www.umenokinen.com/backnumber/html/gadan_gadan/no6/no6_hirazono.html
関連記事
  1. 2012/11/15(木) 00:00:00|
  2. 人物事典
  3. | コメント:0
<<赤城泰舒 | ホーム | 小山周次>>

コメント

コメントの投稿


管理者にだけ表示を許可する

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。