古賀春江資料室

洋画家・古賀春江(1895-1933)のデータベースを制作中です。

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我国の新しい絵画と画壇に就いて─新しき趣味知識

 未来派、立体派、表現派、ダダ、構成派、超現実派、プロレタリア派。近代日本に興つた芸術流派の中でこれ等のものをその各おの時代に於て新しい流派と称んで来た。時代の流れの中にあつて事実それ等のものはその時代に於ける尖端的意義と価値を持つて居たものである。然しこれ等の流派は元来日本に於て創《はじめ》られた流派でもなければ主張でもない。重に〔#「重」に「ママ」の注記〕欧州の諸国に起つたそれ/″\の流派、主張であつた。東洋の一島国日本の文化は近年殊に著しく欧州諸国やアメリカの文化の恩沢を受けて育つて来てゐることは万人の認むる所である通り、美術の思潮も決して現在日本のみが孤立して存在してゐるわけには行かないのである。従つて今日の日本の美術を論じようとするには背後の大きな、欧州美術の源流を探らなければならないことになる。欧州の近代美術がわが日本にどういふ風に流れ込んだかどういふ影響を与えたか、又日本にある独特な美術の特殊性が如何に欧州に響いたか、等の問題はたゞに現象的に眺めても興味あることであるばかりでなく、一般文化史的に研究しても意義ある事に相違ないが、ここではそれ等の精密なる考察は難かしいので極めて簡単にそれ等の思潮の現はれと日本の現在とを交互に眺めて行きたいと思ふ。
 近代美術の大きな革命とも云はる可きものは先づ未来派であらう。未来派の宣言は一九〇九年二月│伊太利《イタリー》のマリネテから発表された。その中に「世界の栄光は一つの新しい美即ち快速の美によつて富された」「争闘に於けるよりも更に美しいものは存在しない」「時間と空間は昨日死んだ、だから私達は最早絶対の裡に生きてゐるのだ」「私達は世界の唯一の衛生なる戦争を、無政府主義者の破壊的行動を、人を殺す麗はしい観念を、更に婦人の軽蔑を讃美せんとする」「美術館と図書館を破壊せよ」「造船工場の夜の振動を、停車場を、工場を、郵船を、機関車を、飛行機を歌ふであらう」(神原氏訳)といつたやうに古典、静止、平和等に厳しい破壊的態度を取つた。詩、絵画、演劇等各部門に亙つてその宣言は実行された。特に絵画に於ては物象の交錯、流動、時間空間の同時同存性等が主張された。歩いてゐる犬の脚は四本ではなく二十本であると言つた。
 日本に於てこの派の作品の代表的なものとして記憶されるものは神原泰氏の諸作、及び東郷青児氏の初期のものなどであつて、東郷氏の「パラソルをさせる女」「美しき市街おお憂鬱よ悩ましさよ」「われはこの苦しみに命をかけたり」等孰れも第三四回位の二科展に出品されたもので当時の日本の画壇に大きな刺戟を与えたものであつた。少し後れて日本画の方で玉村善之助氏が美術院へ出された絵巻物に未来派の表現を取つたものが見られたが伝統第一主義の日本画壇へ投げられた大きな石であつたらう。
 立体派はセザンヌに源を発すると云はれてゐる。「三延長を有する立体を二延長しか持たない画面に如何に表現するか」がこの派の重大なる苦心であつた。この派の根本的思想は科学的現実的であつた。その方法として物体のデフオメーシヨン──形態の変歪又は解体──が行はれた。続いて固有形固有色の問題が起きた。光線によつて変化する色彩が否定され、運動に依つて変形する形態が否定された。現実の空間を如何に画面に処理するかゞ、立体を各要素としての面と線とに解体しそれを如何に構成するかゞ重要なる題目となつた。この精神に於て現実主義であり形式的に方法論的に科学的な基礎を持つことに努力したこの派の功績は以後永く今日まで我々の方向に一の重要な基礎を与えたものと言はねばならない。立体派は主観と理智との結合を企図したものと言つてもよい。
 日本では以前の矢部友衛氏の或作品や、横山潤之助氏の作、岡本唐貴氏の或作品などにそれ等の影響が見られた。それ以後立体派を母体として興つた新古典派と称はれる作風のものに当時の黒田重太郎氏や東郷氏の或作品などがある。
 表現派とは一言にその主張を尽せない極めて綜合的な思想を持つものでその最も重要とする要目は「自然の再現ではなくて主観内容の表現である」といふにある。芸術に於ける主観主義の最も高潮したるものと云はれる。色彩も形体も極めて主観的に強調されて第一に極度な刺戟を観者に与える。この派の統師とも言はれるカンヂンスキイの諸作は作者の内面の世界を抽象的に感覚的に表現したる代表的なものである。これは日本に於ても今日普く市街の装飾や映画や舞台のセツトやポスター等より着物の模様、帯、ネクタイ等にまで応用されてゐるが画壇の方面では特殊な運動も見られなかつた。
 ダダは欧州大戦の惨禍が生んだ世紀末的虚明主義である〔#「明」の横に「名」〕。「ダダは本能のみを認めるが故に先天的に説明を否定する」「文学及び絵画の領域に於てダダの傑作を期待することは笑止の沙汰である」といふが如くダダは一つのエスプリの状態であつて主義でも主張でもなく従つて製作に就いても何等の情熱も意志もないわけである。トリスタンツアラ、ハンスアルプ、ピカビヤ等がこの派の人達の中にゐる。
 日本では村山知義氏や玉村善之助氏等に依つて創められた「マヴオ」より「三科」時代に於てこの種の作品が見られた。村山氏の当時の数多い作品、ブリキや麻布や絵具や金具の破片などで作られた──や、玉村氏の「タトリンまではヘラ/\/\/\と登りつめたり」という天井辺りから繩を張つて所々に紙片をぶらさげたものなど、その他針金やブリキやガラスを集めたものなどがあつた。
 構成派──それの生れる以前にオーザンフアンやジヤンネレなどの純粋派と称《うたは》れるものがあるがこれは日本に眼立つてその反映を見ない為にこゝではすぐ構成派に移る。然し乍ら立体派から純粋派、構成派とこの三つの段階は直系血族とも云はる可きもので、純粋派は立体を一歩進めたものであり構成派は純粋派を思想の上にも形式的方法的にも多分に包摂してゐるものである。例へば後に「機械の美学」を称《とな》へた立体派のレジエーは「芸術の社会的役割及び実用性の承認と工業生産の方向に沿ふ芸術の発展の肯定」「生産生活の幾何学的秩序と抽象的幾何学的形式との現実的諸関係の研究」(蔵原氏訳)を挙げるなど次に興つた構成派と如何に必然の相互関係にあるかを了解されるのである。又、オーザンフアン及びジヤンネレの「純粋派の美学」で「新しき芸術の綜合の中に於ける若干の唯物論的原則の承認」「立体派の成果としての抽象的幾何学的形式の現実的相互関係の関究〔#「関」に「ママ」の注記〕」といふのを見ても此間の消息は伺はれる。
 構成派は非個人主義、集団主義、現実主義、唯物主義、産業主義等のなかから生れたものである。故にこの派の主張は具体的には絵画よりも寧ろ工業、建築、機械にその表現を見出した。ワイマール(後にデツサウ)のバウハウス等もその主張の派生として見られ得る。これは種々の生産工場の組織を持つてゐるがその根本的芸術的原則としては「生気ある現実的な実利的な芸術への努力」である。この派の思潮が特に革命後のロシヤに盛んであつたことは当然と言へよう。我が国でも村山氏等は逸早くこれを舞台や酒場等の設計に用ゐられて新しい効果を挙げた。
 次に超現実主義と称ばれるものが来るがこれは大体に於て観念主義であり抽象主義であり内容的にフロイドの精神科学を取り入れた夢と現実、物質と精神との新しい交流の上に建てられた形而上学であると言へよう。この派の領袖とも目されるブルトンはその超現実主義宣言の中で「もし欲するならばこれはまさに人工楽園である。外の人にもあるがこれと同じ題名のボウドレエルの評論からとりあげられる趣味だ。また神秘な効果とそれから生みうる特殊な亨楽との分析──多くの方面から、超現実主義はある人々の所有物であるところの義務を感じない新しい罪悪の如く現はれる。あらゆるデリカが満足されるハツシユ酒のやうなものである。──かくの如き分析はこの研究に於てその場所を欠かすことは出来ない。」(北川氏訳)と言つてゐるし、又後に出した第二の宣言書の中で「若しも超現実主義が、現実と非現実、条理と非条理、省察と衝動、知識(運命的)と無智、効用と非効用等々、これ等の概念の攻撃を計画して特にその道を進むならば超現実主義はヘエゲル体系の(偉大な堕胎)から出発する点に於て少くとも史的唯物論との向動力の〔#「向」に「ママ」の注記〕類似を示すだらう。結局否定、また否定の否定に。鎮められるある思想の実施に於て、例へば経済の範囲の限界のやうに、限界を決定することは不可能であると僕には考へられる。弁証法が社会問題の解決以外には有効に適用されないことをどうして是認出来るか。超現実主義の野心の全部は最も直接な自覚せる世界に於て何等の障害のない実施の可能性を獲得することである」(原氏訳)とも云つて居る。
 日本に移植された超現実主義の理論も各人稍々異つてゐる。詩壇に於ける竹中氏、春山氏、上田氏、渡辺氏、西脇氏等それ/″\の説が多少づゝ異つてゐるやうである。絵画に於ては昨年の二科展に出品された中川紀元氏の「空中の感情と物理」といふ作品や、東郷氏の「超現実的散歩」阿部金剛氏の「リアン」野間仁根氏の「ザフールムーン」等を超現実派として一般からは評されたが作家は各々異つた理論と方向とにあるやうに思はれる。
 新しい絵画は工場から──といふスローガンを掲げて起つたプロレタリア芸術論は現代の資本主義の社会組織が産んだプロレタリア階級の主張する芸術論であつて殊に現代の日本に於ては日を追ふて優勢になりつゝあると見られる。その主張する所は根本に於てプロレタリア階級のための芸術であり従つてプロレタリアートの政治的社会的争闘の一翼としての芸術である。故に従来のあらゆる芸術、即ち資本主義的な一切の素質を備へてゐる所の芸術を否定する。これは文学に絵画に詩歌に演劇は言ふに及ばず、文化的現象の一切のものに働いて氾濫してゐる。絵画の方面にては日本プロレタリア美術展があり、団体としては「プロレタリア美術家同盟」「造型」等がある。矢部友衛氏、岡本唐貴氏、永田一脩氏等が活動してゐる。「プロレタリア争闘の種々相の客観的写実的描写。煽動的処方箋の発明」など重要視されてゐる。

 以上で大体過去約十年以内の日本の美術の変遷推移に就いて観て来たがこれ等はもとより画壇の一角に起つたその時代々々の急進的な分子の運動で日本の画壇と云はるゝ本体にはさしたる変動も起つて居ない。帝展、二科といふ風に重なる〔#「重」に「ママ」の注記〕団体も年を経るに従つて次第に基礎を固めて来て進退共に今日ではさしたる変動を来たしさうもない。然し乍ら芸術が時代の反映であるとするならばこの流動して止まない而もその速力の超特急な現代に処して芸術も亦大いに進展の歩度を速めなければならない。時代は次々に新しい芸術を作り滅し絶えず変遷し進化する。来る可き時代に於て芸術は絵画は如何なる信念を持つて如何なる方向に進めばよいか。それを明瞭に認識し把握することは現代の我々に課せられた任務である。こゝに竹中久七氏の最近の論文の一章を借りれば「ブルトン流のシユール・リアリズムとはプロレタリア芸術家の言つた如く、滅び行くブルジヨア文化の最後の花であつた。併し我々の主張する科学的合理主義的シユール・リアリズムとは、プロレタリアートの勝利に基く唯物弁証法の解消後に当然そこに落ちつく可き将来の芸術である。社会的歴史的必然性に於て芸術の進化を実現せんとする点に於て最も新しき芸術である」と云はれる同氏の新しい合理主義の芸術と、形式主義芸術論で我々を示唆された所多い中河与一氏の新即物主義理論の把握との創造的進展に於て示されるであらう作品に私は多大の期待を持つものである。



初出:『婦人サロン』2巻10号(1930年10月)pp.81-84
底本:古賀春江文集『写実と空想』(中央公論美術出版)p.38-44
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