古賀春江資料室

洋画家・古賀春江(1895-1933)のデータベースを制作中です。

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春素描

何所も彼所も頭だらけであつた。頭。頭。
そして頭の中にある私の頭。
幅三間の道路を一杯に頭が流れた。蒼白く塗り立てられた頭であつた。

港の春の夜桜に、街は限りなく膨張し、ゆら/\と揺れたが、私の胃袋は惨たらしい圧迫を感じて弱つた。
殊に風景は波止場の波打際で、哀しい単調な唄になる。
あながち、季節の感傷ばかりではない。
活動写真ではセイロンの風景──
庭園の入口に鉄柵が白い地面にクツキリ黒い影を投げてゐる。
前景の地面に帽子の丸い影が現れ、やがて白服、ヘルメツトの紳士。鉄柵の門を影〔と〕ともに開いて茂みに消える。
三番目の男は腕を繃帯して首から吊つてゐる。ヘルメツトが振り返つても表情は影の中。
波の上の遠景──椰子の森。熱風に旗がある。
この幻影に私は見惚れた。
薄暗の中に動く水色の幻は、実在性がなくて善い。
私の空想は羽搏き、私は息を吸ひ込んだ。

私は活動写真を見てゐる。
鼻先に──私は階下の一番後ろの畳に、一人坐つてゐた。前も左右も空席で方六尺の安全地帯──鼻先に、ヒラヒラ、ヒラ/\、暗を縫つて白い鳥、畳に落ちて動かない。
上を見上げた。二階席の孤線が頭の上で突き出てゐる。
懼る/\、落ちた鳥、手に取つて見る。
ハンカチは死んで白い。

偶然といふものは気味悪るい悪戯者だ。
女は全然知らなかつたし、私も勿論知らなかつた。
半歳後に、こんな場所で逢はうとは……。
その夜女は、さくら餅を女中に持たせてゐた。
私はその甘酸ツぱい味覚に話を放遂した。
私の眼の前に白いハンカチがヒラ/\、ヒラ/\とばかり動いて落ちた。
女は私の直ぐ傍で薄白くそれを弄んでゐた。

朝早く、街の動揺の中に私は孤独であつた。
山手の石甃を一人で登つて行つた。
港内は黒い満朝で〔#「朝」の横に「潮」〕あつた。
夏蜜柑を一つづゝ手に持つたフランスの水兵が二人、コト/\と行く。
私は思ひ出し/\口笛を吹いた。

突きあたり、水のやうな森の中に教会の尖つた屋根があつた。
正面に、マリヤの立像が座します。
美しく、無言の聖母。
と、ヒラ/\、ヒラ/\、飛ぶ。マリヤの手から、肩から、頭上をかすめて、白く、鳴きながら、ヒラ/\、ヒラ/\、鳩である。
私はハンカチを忘れた。



初出:『中央美術』12巻8号(1926年8月)pp.128-130
底本:古賀春江文集『写実と空想』(中央公論美術出版)p.96-99
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  1. 2014/09/11(木) 22:41:52|
  2. | コメント:0
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