古賀春江資料室

洋画家・古賀春江(1895-1933)のデータベースを制作中です。

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新傾向絵画と二科

 二科会も今年で愈々二十年の記念展を催すこととなつた。
 そも/\其時代の洋画会は〔#「会」に「ママ」の注記〕官展としての文展として、所謂古典主義を中心として時代の進展と共に発展することが出来なかつた。時代は日進月歩の勢で新しい文化社会として美術のみはその歩みに伴なはず二十年依然として足を止めてゐた。新しい美術と二科会、さう言ふ言葉は、現在に於て普通の常識語となつて終つた。全日本の洋画の新鋭を代表としてその第一回の展覧会を三越の五階に開いたがその次回には上野の竹の台の仮会場に移つた。
 当時会の創立者として会員は石井柏亭氏、梅原龍三郎氏、柳敬助氏、田辺至氏、津田青楓氏、山下新太郎氏、坂本繁二郎氏、小杉未醒氏、有島生馬氏、斎藤豊作氏、湯浅一郎氏の諸氏であつた。其後二十年経過現在その会員に幾多の変遷を見た。
 その頃の作品も現代のものに比較すると大分に違ひがあるが、硲伊之助氏はその第一回に於て素晴しい「裸体」の大作を示した。東郷青児氏は今日迄その有名な勢力を持続してゐるがその時代に既に「未来派」といふ全く新しい作品を発表してゐる。その時の作品の題名は「パラソルをさせる女」だつたと思ふ。
 その後会毎に〔#「会」の横に「回」〕二科は新しい芸術のため社会に偉大なる功績を示したが、この頃の会の過程に就いては石井柏亭〔氏〕の詳細なる論述があると思ふ。中川紀元氏はフランス〔から〕帰朝後マチス流の力強いフオーブの作法で人物、静物、風景あらゆる素材のものを表現して観者の眼を驚かした。その他外国の作家からも種々な作品を出品されたが全く当時の社会に於ける最前線に在つたものだつた。
 最近に超現実派と言はれるものが現はれたが一般社会からは僅かな反響を得たのみで未だ進展の途中にあるものと言へる。
 一体に日本での洋画の傾向は所謂写実主義と言はれるもので、その作品は対象を視覚で得たまゝで、その客観的美を目的として表現されたのであつた。
 それは如何にも美しい作品であつた。人物も、風景も、静物も各種の題材を取つて描かれたものであつた。それはどんな観者にも快感を与へてゐたが、それが時代の趣向と一般の観察者の観賞力とが進歩したに反してそのまゝに繰返されてゐた為め其魅力を失ひ掛けて行つた。
 例へば一般の今日の美の観賞を例にとつて言へば、今まで美しいと言はれてゐたが、今日では案外それが美しいと見えなくなつて行つた。昨日の美で今日の美でなくなつた。山の美、川の美としてもその通りである。日光、富士山、松島、厳島等といふ随分名所として賞され、景色は何時の間にか見返られなくなつて段々に見落されて行つた。それよりも今の社会の美観は何時も、直線の美、曲線の美といふことになつて例へば隅田川の七橋等賞されることになつた。
 これは一般社会の状況を見れば一目瞭然である。
 児童の趣味などに就いても、それは判る。昔は人力車や、馬車や富士山や桃が美しく見られて居たが、今の児童達はそんなものは見やうともせぬ。汽車、電車、自動車といふと夢中になる。
 これは一般社会の文化の発展、文化的施設の発展の反映と見て差し支へないと思ふ。
 一般の科学、機械、薬品、街路の通路、家屋の形、色彩、日常の使役品や玩具、総てことごとくが科学的なものであり機械的なものである。
 そこで、美術の方は如何なつたかと言ふと現実的作品の変遷も科学的現実主義が出来て既に以前の、アンドレ・ブルトン等の主張した時代のものから現在の科学主義超現実主義に移行したものである。
 ブルトン等はその始め、フロイドの精神科学などに基礎を置いてゐた者もあつたがそれは現代になつて全然否定されてゐる。超現実主義とは今になつても依然夢の芸術の如く理解されてゐることが多いけれど実はそんなロマーンチシズム的な現在ではないのである。
 今日までの作品の現実の芸術的価値、それが単に一作品としてたゞ美しいとして美術品としての存在価値を持つてゐた。美しいと言ふだけでは、芸術とは言はれない。美術品は現実の物質存在としての価値を持つた芸術品とは言はれない。芸術の本質それはとりもなほさず精神的美術存在でないが、これは哲学的に言つても唯心的と唯物の二つに別れるのである。
 ヘーゲルの唯心弁証法から、マルクス、エンゲルス等の唯物弁証法との見解の相違。
 認識論でも矢張りこの二つの論があるやうであるが、マルクスはヘーゲル等の唯心的弁証法を認めない。所謂物体の存在が精神を支配するものだと言ふのである。
 また唯心論では唯物弁証法を認識論として認めない。認識物といふのは具体の認識であつてそれは所謂写生主義であるから観念として認識を認められないと言ふ。
 すると、もう一方では両方認められない、それよりも現象世界そのものをもつと研究すべきである。フツサン等がその説を力説した現象主義であつて現象の問題に一歩進んだのである。
 大体「在る」といふ問題が仲々むづかしく解決が困難である。「有」と「無」の問題、これは昔から永い間の未解決の問題らしいけれど矢張り今でもとうてい解決出来ぬ! ノエマとノリシーズの問題。
 美術界に於てもそれは大問題にされねばならない。写実主義を単に模写主義とせる説、観念主義を唱へる者。
 単に美なる作品の否定、それは感覚的認識的で芸術的認識と表現にまで行かなければならない。文学に於ても同じで「悲嘆、驚嘆、喜悦、満悦、不満、悲観」等とそのまゝに情的に美術的に文学で現はすだけでは文学とは言へない。文字の羅列である。
 あゝ、痛いと叫んだとて文学とは言はれない。それは犬の叫が「ワン」と言ふ声と現実の上で単に「在る」と言ふことである。
 これはどうしても文学上の所謂「ポエジイ」とは言はれない。
 美術作品も単に観て美しいのでは芸術品では無い。
 所で現代の日本の洋画展は何所で見ても矢張り、写実主義といふのが多い様である、裸体の婦人が立つて居て側に椅子があり、テーブルがあつて果物に布とがある。それがそれだけの姿をして描いてある隣りの画は美しい山があつて野が近くまで拡つてゐて、小川がその中を流れてる、雲が浮いてゐる。
 一方には大勢の労働者が集つて、ボロのかたまりのやうに醜く出来てゐる。
 赤ん坊を抱いて土間で傾いた板間でお乳をやつてる母親の風景、とても美しいと見られるものでは無い作品が沢山並んでゐるが、一体美術の殿堂と言はれるものはあんなものであらうか、こまつた殿堂である。これでは現実主義であらぬ誰でも逃げる。
 今の日本では仲々作家らしい者さえ少ないが今後の画壇では追々にそれ等の新しい分子が出現して来ると思ふ。
 二科会は前にも言つたやうにその時代の新しい新進を推薦することに依つて最も社会の親任を〔#「親」の横に「信」〕得、それ等凡ての新しい尖鋭として意義ある伝統を作つた。この二科会の中から、その意義ある意義を生かして現れて来るものが必ず生れると信じる。
 二科の万歳を祝して擱筆する。   七月二十九日



初出:『アトリヱ』10巻9号(1933年9月)pp.40-42
底本:古賀春江文集『写実と空想』(中央公論美術出版)p.49-53
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