古賀春江資料室

洋画家・古賀春江(1895-1933)のデータベースを制作中です。

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歌劇界の花形 黒田達人君

                              衣川波留江〔古賀春江の筆名〕

■名声一世に轟くと言へば、我ながらチト持つ提灯《ちやうちん》が大き過ぎる事と思ふが、浅草の一画を魅力あるバスに震憾させてゐるのは金龍館に於ける吾が黒田│達人《たつんど》│君其人である。やれ声量が今少し欲しいだの、表現に柔かみが足りないだのと、数えて来たら、難点はあらうが先づ先づあれだけの技は賞すべきであらう。
■だがこゝでは事やかましい理窟は一切抜きにして些《ち》と彼の性格に直接│衝突《ぶつ》かつて見よう。が彼には何時までも内密《ないしょ》/\。
■先づ彼はお人好しである。正直者である。無邪気である。子供心である。浅草と言へば直ぐに或る頽廃的な気分に人々を誘導すると同時に、歌劇役者と言へば是亦直ぐに或る型《タイプ》の人間を想像する事の容易な現在、彼を其等の中に見出す時、全く別種な喜びを感ずるのである。あゝした周囲に囲繞されてゐながら些しも天性の純情を傷けられる事なく専心勉強してゐるのは感じ入つたる事どもである。
■彼は勉強家である。彼程真面目に勉強してゐる者は現在の歌劇役者の他にはあるまい。
 彼は慢心してゐない、そして彼は所謂役者らしくない身装《みなり》をしてゐる。彼はデレ/\した事が嫌ひである。彼は好男子である。然し色男が嫌ひである。女の前でお上品振つて飯粒を一つ宛口へ持つて行く事よりも、勝手に一人で歩き廻つて屋台のすしを手摑みに頬張る方が好きである。
■彼は親切者である。逢つたばかりの人にでも雨に逢へば方々探し廻つて傘や足駄を借りて来て呉れるし、楽屋に仮寝《うたゝね》でもしてゐる人があれば、そつと夜着を掛けて呉れる、と言つた様に、親切者である。
■それに同輩間に有り勝な嫉妬軋轢にも、珍らしい迄に恬淡で決して同輩の陰口を利かない。賞めはしても悪口は言はない。人気者の田谷君の事なども「うまい、感心だ」といふのみで決して批評らしい生意気は云はない。
■彼は何んでもよく食べる。然しコロケーとライスカレーは食べない。ライスカレーは辛いから、コロケーはグチヤ/\するからとは成程々々。
 酒は一滴も飲まないし煙草も喫はない品行方正だ……。
「あゝ悲観/\、咽喉が悪るくていけない」等と時々歎声を洩す。
「むづかしいものをやらないで、一つ此所《こゝ》でおてくさん/\でもやつて見せ給へ」といふと「や、も御免々々」といつて赤い顔して頭を搔く。
「オイ、コロケー、コロケーは縁日のバイオリンでやつてるよ」
「さうか、僕よりうまいだらう」などゝ笑ふ。
 然し斯うした冗談の中に大きな抱負も持つてゐる。何時だつたか夜、金龍館が閉《かぶ》つてから、連れ出つて電車道を歩いた事があつた。其時彼は、
「駄目だ/\。まだ/\一生懸命勉強しなくては迚も物にならない。今漸く人間らしい声が出て来た所だからこれから、これからやる。うんと勉強するからどうぞ、永い眼で見て居て呉れ給へ」等と言つた。
 年中休み無しに昼夜二回、時としては三回の興行は、迚も十分に勉強する時間は無いのだが、その文字通りの寸暇を利用して一週に二度づゝは定つて樋口氏の所へ𥡴古に行つてゐる。彼は浅草に輝く珠玉である。



初出:『花形』1巻6号(1919年7月)pp.126-127
底本:古賀春江文集『写実と空想』(中央公論美術出版)p.174-176
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