古賀春江資料室

洋画家・古賀春江(1895-1933)のデータベースを制作中です。

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銀ブラ、浅草観音─画中日記

 十二月×日──朝、竹林唯七と真剣勝負をやる。血腥い空気の中でキヽキヽ悲泣とも悲笑ともつかぬ手負ひの声だ。竹林は強い男だ。観念した。一礼して双方太刀をつける。私には成算があつた──小手を隙かして相手の付け寄る所を横面の左撃だ──が私の刀は鍔元があやしい。「お待ち下さい」「オヽ」「お待ち下さい」「刀が悪るくば取り換へなされ。」後ろから出してくれた刀と取り換へ再び立ち上つた。「サア来い」「ヨウ!」私は眼がクラ/\する。汗がビツチヨリ──の所で眼が覚めた。頭をコツンコツンげんこつで叩いて見る。大丈夫であつた。
 朝飯を済ますと丁度十二時。街へ出掛ける。木炭紙を買つて来やうと思ふ。年の終りに近づいた街は大売出しで賑かだ。円太郎の車掌さんは淋しそうな娘さんだ。大変綺麗だが向ふを向くと影がない。影を忘れたピーターパンかな。眠られまい、夜になると沈んだ空気の中に溶けこんで青い気体となつて浮び上る。お陽様と一緒に翌日街の中に動き出すのではないか。私は軽るい不思議な情奇の〔#「情奇」に「ママ」の注記〕虜となる。
 風は冷いが陽はホカ/\、金は無くともゴールデンバツトの味も先づは楽しい。銀座を歩く。飾窓、クリスマスツリー、街頭装飾、赤と白、男と女、香水、びとうどの襟巻、ラヂオ、ラヂオ……。午後の陽が照りつけ埃風が渦を捲き、電車、自働車を吹き飛ばす。
 その翌日──十五号の風景を描く。
 こゝの事務所のおばさんが話してゐる「あれも昨日の夕方死んだそうです!」……あゝあのお爺さんの事かと思ふ。白い髯を長々と生やし黒の頭巾を被り胃癌で入院切開したが思はしくなかつた。「子供衆よ、一寸の間静かにして下されや」何時ぞや電話口で聞いたお爺さんの声──私にはその昔めいた音調がハツキリ耳に残つてゐる。
 夜──老人の死から思ひついた訳でないが御無沙汰してゐる浅草観音様にお詣りする。大扉が閉められて薄暗い。お賽銭を上げて息災を祈る。御堂の左手広場で懐《ふところ》から自転車乗りの玩具を出して廻す。門の傍で十銭で買ったのだ。糸を車軸に巻き土に置いて手を放したらツイと二間ばかり飛んだ所を人相の好い汚い児がヒヨイと来て持つて行く。
 松之助の荒木又右衛門を探したが見つからぬ。河原へ出やう。霧が深い。向ふ岸の灯が綺麗です。月がある。濃紫に装飾されたお菓子の月です。黒い川、水が満々。赤い灯をつけた一銭蒸汽がトン/\/\、チーンとやがて鐘が鳴つて桟橋──薄暗い浮台の上に人の影が三四人。船はこゝで引き返す。
 高い/\紫色の中で、煙の塊りのやうに泳いで見たいな、桃割れの娘よ、水面から流れて来る香ばしい香りに、お前の花簪を揷したがよい。メリンスの帯と、赤い襟と、桃色の鼻緒の下駄で、お前の夢を彩つたがよい。
 その又翌日──新聞──あの蒼白い紙一面につまつてゐる虫のやうな活字は一つ一つ生きて動き這ひ廻つてゐるやうだ。読む人は眼だけになる──眼は単に活字を映すガラス玉だ。──焼ケ嶽大爆発と仇討ちに監獄に忍び込む。離婚の嘆きから婦選の闘士(日本の法律は女に損と)、晴のち曇り、鉄道会計へ融資千四百万円、仁丹ハミガキ、人生は永遠の学校、醬油の見分け方と兵備の手薄につけこみ北満を覗ふ露国──これを一時間に一緒に考へなければならない──毎日。いや考へ出したら先づわからない。路傍で拾ひ上げた一枚の新聞を読むのに一生を費した──といふ人はゐないか。
 前日の続きの十五号を描く。今日で打ち切りとする。
 翌日──珍らしく早起きだ。十時。麻布の親戚へ出かける。玄関の呼鈴の疣《いぼ》が白く小さく出てゐるのを横目で睥み乍ら格子を開ける。あの疣を押すのが嫌だ。変に小さく白つぽくて押すと脂腹に〔#「脂」の横に「指」〕軽く抵抗し乍らへこんで行く。こちらは何の物音も聞かないのに遠く家の中の深い所でヂリヂリ/\。やがて人の気配がして障子を開けて顔を出す。こちらにさつぱり分らないのに先方には「事件」がちやんとわかつてゐる、疣から顔──までの変に落ちつかぬ時間、その不気味さを象徴するかのやうなあの疣だ。
 帰途、街中をブラ/\し乍らスケツチ二三枚。
 夜三時過ぎまで読書。
 翌日──市川へ行く。冬の郊外。江戸川。縞模様ある金色の毛氈に一本の青いリボンだ。冬の野原は太陽の下に微笑する。沼沢一面枯葭原。夏はよし切りが喧ましく鳴き騒ぐのだが今は颯々と吹く風にサヤ/\霜枯れた音を立てるばかり。渡し場で対岸へ手を揚げると岸向ふの家から黒い人が出て来て船を漕いで来る。「お寒くなりましたな」「寒いですね、ご苦労さまで」「ヘエイ」船が着く。いくらですと聞くと二銭だ。
 絵具箱を投《ほう》り出し、堤の日だまりの草原に仰臥して青空を見乍ら煙草をふかす。ウツラウツラと眠たい頭に映るまひるの野原──田舎に忘れて来た恋情──。
 何にも描かずに帰る。曇つた夕暮の空からぬか雨が降り出して夜に入る──。



初出:『中央美術』12巻2号(1926年2月)pp.168-170
底本:古賀春江文集『写実と空想』(中央公論美術出版)p.179-182
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