古賀春江資料室

洋画家・古賀春江(1895-1933)のデータベースを制作中です。

あんなに泣いてはいけない─艦隊入港試写の後に

 サンフランシスコの港へ艦隊が這入る。薄墨の海と白いチカ/\光る軍艦の俯瞰。黒い小さな豆のやうな水兵の団り。出迎へに出てゐる踊子達の形のよい水差しのやうな脚の林、彼女はその中の一人です。
 その夜のダンスホール。肩と脚と横顔と腕と背中、水兵の彼は彼女を択んで仲間と競争になる。種々な術策。──話は少し退屈。彼女の家まで送り届けた彼が階段の頂上まで女を抱えて駆け登るのでした。室内の其所此所にばら撒かれた光と影との綾の中を長い階段。美しい横縞。素足の女は脚をバタ/\動かす。男と女の母親との話を聞いて次第に女は男を信ずる。さめ/″\とわけのわからぬ涙を流す。──
 バルコニイに出る。沖合遠く碇泊した艦の灯が見える。男は女に接吻する。と、女は愕然として怒り出す。男は帰艦の時刻に遅れ、翌日は上陸を禁ぜられる。命ぜられた信号に女の名を入れたりしてみんなを手古摺らせる。女のゐる踊り場へ出掛けると競争者の男が邪魔をするので二人の格闘から水兵仲間一団の格闘になり彼は警察へ引かれる。が、彼女の犠牲的な厚意でやつと放免される。彼は女の誠意に感激しながら埠頭まで送つてくれた彼女に別れて艦へ帰る。
 クラヽ・ボウは大気の荒い海洋の岸辺から、椰子《やし》の木の下から、或は洪水の様な太陽の光の原野から、市井のダンスホールへ連れ込まれると忽ち匂の高い菫色が褪色する。──
 彼女はあんなにさめ/″\と泣いてはいけない。──さめ/″\と泣くことなどはリヽアン・ギツシユに任していゝ。──
 水兵達の格闘では、しかし彼女は体をくの字に屈げて鶏のやうに蹴るのでした。最後に、草の上に仰向きに打ち倒された彼女のクローズアツプ──丸い肩から白い二の腕は美しい。
 裁判所で、襟に桜花丸と書いたハツピイコートを着た彼女はみぢめです。スワンソンだつたら何とかなつたらう。
 あの清調と感傷との恋の場面に至つては他に適当な人が山程あるでせう。何かの迷信が彼女に薄ぼんやりとしたカーヴをつける。それは古臭い。
 彼女はもつと明快で、気まぐれで、雋敏で、唯物的で意味のない野生の蝶であつてよい。



初出:『中央美術』15巻1号(1929年1月)pp.88-89
底本:古賀春江文集『写実と空想』(中央公論美術出版)p.186-187
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