古賀春江資料室

洋画家・古賀春江(1895-1933)のデータベースを制作中です。

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鬼夜の話

 玉垂神社といふのは武内宿禰を祀つてある社だそうである。鬼夜《おによ》といふのはその玉垂神社の祭事の一つである。もつとも何所の玉垂神社でも同じ祭があるといふ事は聞かない。私の郷里から南二里程の村にあるその神社の祭である。
 霜月、臘月となると田舎の景色は何所も同じ灰の単色、乾いた田畑の縞模様に青い横霧がかゝつて紫の雑木林の間から駱駝色の藁屋根が覗き欝陶しく寒々とした曇り日がつゞく。紅葉が落ち、菊は既に茶褐色に萎れ満目蕭条、僅かに垣根に南天の赤い実ばかり。
 正月──もう炉辺の蟀蟋《こほろぎ》の影さへなく、暦の上では春だが事実気は寒、床飾りの用意の梅が一二輪白いばかり、椿も未だ蕾が堅く北風ばかり凛々と骨に徹する──その正月も七草の夜が玉垂宮の鬼夜である。

 昼の間はそうした神社の縁日に有り来りの何所にも見られる風俗図、境内一杯に露店が並んでオモチヤの喇叭《ラツパ》の金色が輝き、ゴム風船が七色の球を挙げ、飴屋の前では小児の新し着物が汚される。
 初夜の更となると遠近から集つて来る参詣者が広い境内を埋める。露店はアセチリンの匂ひを漂はし、果物屋は古ぼけたランプにぼら/\と油煙を立て、のぞきからくりが何時も変らぬ「不如帰」で浪子の悲鳴が銅羅《どら》声で鳴り亘る。
 村の家々ではその日は朝から親族縁者のお客で忙しい。遠隔の客は二日位前から泊りがけである。酒は地方で仲々上等だが肴といつたら田鮒の煮附が最上で、あとは干鱈に里芋、大根の輪切に油揚げがつきもの、一家総掛りで来客を歓待する。 小供も混じれば老人も一緒に「今年も相変らずお達者で……」「いや貴方もちつともお変りにならないで……」とこれは老人への挨拶。「見違へましたよこんなに大きくなつて……」とこれは小供への挨拶、毎年々々同じ顔が一ツ家に落ち合つて定つた時候の挨拶からお互の家庭の事、農作の事、税金の話から娘の縁談、孫の自慢が型通りに運べば盃の応酬も次第に盛んになつて来る。大安座でも毛脛《けづね》を出して体が斜になつて来る頃から、歌ふ踊る、家人が台所と座敷とを大声に呼び合ひながらバタ/\駆け出す時分からてんやわんやの騒ぎである──

 その頃になると神社の境内は群衆で身動きも出来ぬ位、中でも眼につくのはブク/\と綿入の三枚重ねにモヽ引足袋、時代の判らぬ帽子を耳まで下ろし襟巻をグル/\その上煤色の毛布を被つてゐやうといふ──まるで山窩《さんか》もどき、これは毎年雪が降つても霰が降つても欠かさずにやつて来る老人連中。

 境内に入る手前に川がある。幅十間余りの川であるが近い海から潮が来る。川には不似合な大きな海の帆前船を橋の袂に見ることがある。
 川から社殿まで五六十間、左側は路一筋を挟んで人家だが右側は広場に続いて杉の林である。正面石段を三四段楼門でそれから左右に廻廊、その内側の広庭社殿の前に六七本の大│松明《たいまつ》が横たはる。松明は一村から一本づゝ出したもので火口径三四尺、長さ四五間位ある。

 カンテラの灯影に薄暗く座つた店番の老婆の顔が幽鬼めく夜の十時頃になると近所の人家も境内の露店も一齊に灯火を消す、僅かの火影でも洩れることを禁ぜられる。月の影もない真黒の闇に凍るやうな星ばかり、全く鼻を摘まれてもわからないといふ闇である。
 神殿の中の奥深い灯明が唯一ツ残されたのから、鬼が小さな導火を持つて──鬼が出ます──横たへられた大松明に火が移される。それが実に遅々として神殿から松明の所まで十間足らずの間を鬼の歩みは仲々渉らない、松明の側まで行つては又立ち帰り又ゆら/\と歩いて来る──
 漸くのことで並んだ全部の松明に火が移る、松明が燃え出したら各村の青年少年が一齊に各々長い支え棒で八方から松明を支へて空中へ高く突き上げる──松明を支える者はシヤツ一枚も着けない真の裸体である。焰は炎々天を焦し、境内の杉や松の緑に赤々と映る。と同時に、杉丸太の組み立てゞ築かれた櫓《やぐら》から太皷と鐘が破れるばかりの音で鳴り出す……ドンガンドンガンドンガン……。松はそれと合図に七本が縦隊になつて神殿の周りを廻る。一本の松明に十人余りの裸体がブラ下がるやうやうにして各自に叫び合ひながら、遠巻きにした群集の顔を真紅に照らし凄まじい勢で廻り出す。
 一時間以上も廻ると各々小さな手頃の松明に火を移し右手に捧げながら各村一団づゞの隊を組んで「ヨイサ、ワイサ」といふやうな掛声と共に境内を一直線に前の川へ走り満潮の泡の中へ飛び込むのである。この時には人数も何倍と増す、現今は知らず以前は村の各戸から女と病人小児を除く他必ず出動しなければならなかつたそうである。若し出なければ金──、所が中学でも出た生意気なのになると稀に出ないのがある。迷信だ馬鹿々々しいといふので。
 川の水へ浸る時には三歳の童児まで抱いてゆく。凍るばかりの水の中へ丸裸〔を〕浸すのである。六七歳の児童は一様に松明を振りながらヨイサ、ワイサである……。水にザンブリ入つたら又上つて来て神殿の前へ礼拝する、又引き返して川へ行く──何十度となく繰り返す。或年此夜雪であつた、霏々《ひひ》として絣模様の画の中に裸体は陸の海豹《あざらし》であつた。
 最後に裸体の団体はそのまゝ境内の囲りを馳け廻る。各々松明を右手に振り上げながら。そこでA村の団体とB村の団体とが道の角で打衝る、忽ち喧嘩である、手にした松明で打ち合ふ、裸体の肩で火が燃える、平気でやる。優勝な方が先頭に立つ、廻る、また他村と衝突する、再び打合ひ殴り合ふ。後に廻はされた方の連中は地団駄を踏みながら優勝組をやり過す。地団駄は口惜しいからばかりではない、綿入を三枚着た上に懐ろには懐炉を抱いてゐなければ立つてゐられない寒さである、掛声と共に地団駄でも踏んでゐなければ裸体は地に突きさゝつた氷柱にならう。
 こういふ事を殆ど夜明けまで繰り返す、五百に余る裸体は皮をむいた松か槲《かしは》である、肩と肩とが揉れ合ひ、捩れ合ひひしめき合ふ、平常燻つた表情が一夜の機会に真紅に燃える焰となる。
 村の女達は当夜は松明も持たないし水へも入らない。その代りに客の接待綺麗に桃色に化粧して新しい着物を喜ぶ。若いモダーンは耳かくしを気にしながら踵の皹《ひび》に無二膏を嚙ましてコツソリと出かけゆてく。
 翌日は休養で又酒宴。
 親戚の客も帰つて終ひ、境内で松明の燃えさしを子供達が拾つて遊ぶ頃になると村は又何の変化もない平常の単調さに返る。川添の籔蔭道に霜柱が崩れ颷々《へうへう》と吹く風は肌に千本の針を打つ。空は寒い夕雲の三色版で烏が啞々と鳴くばかり。
 鬼夜の語から同郷のT君が「あげなこたどけでんなあるめのーや」といふ通り、あの非時代的な古るい土俗の夢のやうな情熱は何時までも誰からも懐しまれるものであらう。



初出:『中央美術』15巻2号(1929年2月)pp.95-98
底本:古賀春江文集『写実と空想』(中央公論美術出版)p.188-192
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