古賀春江資料室

洋画家・古賀春江(1895-1933)のデータベースを制作中です。

ぼんやりした話

 Tさん所で喰べた桜餅の甘味《うまみ》がまだ口の中に残つてゐるのを私は歯の根から吸ひ出すやうにスウ/\吸つてゐた。
 曇つてゐるのか晴れてゐるのか分らぬ位に暖かく白く霞んだおぼろ/\の春の夜だ。
 体を凭《もた》せかけてゐた石の玉垣の手ざわりがヒンヤリと快い。境内に灯つた電燈もぼんやりと濡れたやうに眠たげな光を放つてゐた。
 ──それで。どうした?
 私はあんまり永いこと黙つてゐたので、さして訊きたくもない彼女の話の続きを促した。
 ──それから……それからそれつ切りよ。別れたくないのに別れねばならないと思つた時には死んだ方がいゝやうな気もしたけれど……それは一時の気持ね。
 ──そうかね。
 ──えゝ。時が経つと自然に変つて来るものだわ。アラーあそこは何処だらう──あそこのあの大きな桜は? 綺麗ねえ。
 ──あゝ。
 ──あなたはちつとも何んにも興味が無さそうねえ。星が出てゐますわ。
 ──星が出が出てゐるね。
 ──今年の正月Aに逢つたのよ、街で。船のやうな底の反つた下駄を穿《は》いてたわ。
 私達は、しかし薩張《さつぱ》り面白くなかつた。最前から一時間もこんな薄暗い神社の石段の上で石垣に凭れながら取り止めもない事を話してゐるのである。
 明るい街の方は賑やかで人の雑閙《ざつとう》の気配が聞えて来る。夜桜見物の人達である。
 私達は波止場に降りて行つた。海は黒い満潮に柔かく膨らんでゐた。シグナルの赤や青の灯。碇泊船の窓の灯。それ等の窓に小さく動く人の影対岸の山の境界線はぼんやり霞んで見えない。トン/\/\/\と小さな発動汽船が直ぐ足下から動き出して直きに向ふの大きな黒い船体の蔭にかくれる。水の中の灯が揺れる。──
 ──その時死んでゐたらどうだつたかな。
 私は又先の話の続きを思ひ出して云つた。
 ──そりあそれつ切りさ。でせう?
 ──まあおんなじこつたな。生きてゐるといふことも、死んでゐるといふことも。
 ──私も時々そう思ふわ。これが生きてゐるつてことなんか知ら……こんな風で、あと何十年と続くのなら随分困つたことだわね。
 ──まだ君なんか女学生ぢやないか。せいぜい未来に輝かしい希望を持つさ。
 ──「若き木の芽の生ひ立たば、何にとはなると問ひますな、冠の箱は少くて、柩ぞ多き世ならずや」よ。
 ──生意気言ふな。僕の死にに行つた話をしやうか。阿蘇山に死にに行つた話を。
 ──まあ、ほんとなの。何時?
   三年前だよ。中学生の時の話さ。

          ◯

 で、その話といふのは実に馬鹿気たもので、私は当時愈々学校を止めやうと努力して居た時で、同窓の友人にHといふ一寸風変りな無謀な奴が居た。これが所謂文学青年で学校でゞも小説ばかり読んでゐたもので其当時としても少し古い方ではあつたが兎に角色々面白い話相手であつた。
 そのHが失恋した──といつても、これも、夢のやうな話で、現実的に確とした相手があつてそれに失恋したといふのではなくて、一人で空想の女性を描いてそれに対して失恋したので、それでも当人は至極真面目に悲観してゐた。
 ──K君!
 と、その友人は或時突然私に云ひ出した。
 ──僕はとてもやり切れない。人生は無情で惨酷だ。僕はこの上堪えられない。一そ死んで終はうと思ふがどうだらう?
 ──それはよかろう。
 と私は言つた。
 ──よかろうか?
 ──よかろう。
 ──そんなら、君もそう言ふなら、死ぬと決めやう。
 私も実は薩張り面白くなかつたので眼の前に快く死ぬといふ友人を見て少し羨ましく思つた。
 ──僕も死なうかな。
 ──君も死ぬか。
 Hは眼を丸るくした。
 ──然し君は何で死ぬのだ。
 そこで私は学校が嫌で/\ならない事。小学校の時から何度│廃《よ》さうと決心したかわからぬ事。学校に行かねばならないなら死んだ方が増しである事。高等学校や大学等に何時までも行くやうな者は一種の変人であつて常識では判断出来ない事。その上嫌な学校を止めてもこれといふ外に目的もない事。世の中といふ所が噂に聞けばとてもやり切れたものでない事、等を挙げてそれよりも死んだ方が安心出来ると思ふと云つた。Hも悉く同態であつた。そこでその死ぬ方法として選んだのが阿蘇の噴火口に投身することであつた。
 丁度夏七月であつた。私達は熊本で汽車を降りて鉄道馬車で──その頃は鉄道馬車であつた──何とかいふ終点の駅に着いたのが夕方の七時頃ででもあつたらうか。それから七里ばかりの夜の山道を登つた。誰も通らないしん/\とした山道であつた。中天に高く小さな月があつた。浴衣の肌が冷え/\として心地よかつた。
 その晩は戸下といふ温泉に泊つた。体は疲れてゐたけれどもよく眠れなかつた。
 翌朝は宿の裏の渓流に降りて半日を過し、午後栃ノ木まで行つた。そこの宿でHは原稿紙二十枚位の遺書を認めた。その晩も眠らず頭がボンヤリして来た。考へたり行動したりする事が次第に憶劫になつて来た。その上噴火口まで日盛りの中を登るのは仲々大儀になつて居た。今少し遊んでゆきたいと思つても旅費が乏しかつた。死なうといふ人間が生きるのに心細くなつて来た。二人は出直すといふことになつてそんなら帰りの汽車代の無くならないうちに早くといふのでその翌朝早く宿を出て山を下つた。馬車にも乗れずカン/\照りつける陽を浴びて汗と埃に汚れた上熊本まで十二里ばかりの道を歩いたが汽車に乗り込んで腰を下ろすなり二人共前後不覚に眠つて終つた。
 二三日経つてからHが学校から呼び出された。
 ──君はKと二人で何処かへ行つたらう。
 厳めしい教頭の先生はテーブルの前に立つたHにいきなり浴びせかけた。
 ──ハイ、阿蘇に行きました。
 ──何しに行つた。
 ──死にに行きました。
 ──……………
 あんまり明瞭に答えたので先生も驚いた。
 結局散々叱られて謹慎を命ぜられたが、それにしても学校へどうしてそんなに早く知れたかといふに、これは後で聞いたことだが、私達が帰りの汽車の中でグツスリ寝込んでゐた時、Hが引き裂いて捨てるつもりで遺書を傍に放り出したまゝ眠つて終つたのを背後《うしろ》の席にゐた人が偶然◯市の小学校の先生だつたとかで、その人が不審に思ひそれを取り上げて読んだ。私達は浴衣がけではあつたが学校の制帽を被つてゐたので早速学校へ通知されたわけである。
 行きの汽車だつたら二人を抑へるつもりであつたが帰り途だつたので見遁した──とその先生の通知にあつたそうだ。

          ◯

 ──ちえツ! なつてないわね。
 彼女は私の話を吐き捨てるやうに舌打ちした。
 ──其時死んでゐたらよかつたらうに
 ──同じことさ。どつちでも。
 闇に塵屑《ちりくず》を浮かべた波止場の波がピチヤ/\足下を洗ふ。
 明日の晩は彼女の学校の紀念祭で余興があるから見に来いといふので行く約束をして別れた。
 十五年前の色の褪せた夢である。



初出:『婦人サロン』1巻4号(1929年12月)pp.157-160
底本:古賀春江文集『写実と空想』(中央公論美術出版)p.193-198
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