古賀春江資料室

洋画家・古賀春江(1895-1933)のデータベースを制作中です。

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とりとめもなく─送年随筆

 今年は日常の現実的生活に於て何等の動きもない一年であつた。私の生活は元来変化の少い生活であるのに今年は特にさうであつた。
 私はこういふ生活を特に好んでゐるわけではない。事情止むを得ずに動かないでゐるだけである。
 誰でもそうであるやうに一所に固定すると外の変つた所に行つて見たい。私は大体東京に暮してゐるけれども田舎へ行つて見たい時には大概故郷の九州へ行つて見る。そしてその時々に於て種々な空想を持つて行く。先づ何よりも田舎の広濶な野原と碧い澄み徹つた空気と、山と海と川と更にそこの人情風俗とに何か新しい期待をかけて。然し楽しいのは途中の汽車の中だけと言つてもいゝ位である。あまりに広漠たる自然は私を受附けて呉れない。私はポツリと孤独で自分の肩を自分の両手で抱くのである。着いて一時間すれば最早田舎は退屈である。後は退屈に耐える修行をしてゐるだけでぼんやりと暮しながら早く東京に帰りたいと思ふが帰つても矢張り今迄の何の変化もない不自由な生活が待つてゐる事を想ふとそれも憂欝である。結局何処に居ても落ちつけない自分を本当の旅人かと思ふ。現実の生活に情熱を持てないのである。
 私は少年時代から友達との交際が憶劫であつた。大勢集つて遊ぶ事等殊に嫌ひでそれよりも一人でゐた方が気持が楽でよかつた。そのくせ私は口に出しては自分の気持を言へないので二重に嫌であつた。また飼つて居た小鳥が死んだりすると自分も死にたいと思つた。私は陽の光のさす現実が嫌で/\ならなくなつて一日も二日も押入の中で寝て居た。そんな時でも人と逢へば嫌な顔が出来なかつた。私は自分を殺して一生懸命に相手の感情を害《そこな》はないやうに努力した。それだけその反動は強く自分に返つて来たわけである。
 然し都会の雑鬧と喧囂とは現在の私を一瞬間落ちつかせる時がある。私は其時その環境の中に入り込む事が出来る。街の舗道を歩きながらその中に溶け込む事が出来る。そんな時私は実に美しい光景を見る。小鳥を持つた肉の丸い白い腕、路上に樹てられた旗、素敵に早く駆る赤い空の自動車、青空に雨のやうに降る花片。真直ぐに昇つてゆく鋭い一本の針、私がそれを捕へやうとしてゐる──が、やがて私がその中の私を感ずる時が来る。それは早く来たり遅れたりするけれど私はも早や面白くも美しくもない。唯莫々として靄のやうな頭で「生きてゐる自分」を意識する。
 生きてゐる──生きてゐるといふ事はどんなことだらうか──それを考へる。
 親とか兄弟とか愛人とかそれ等の他人に対してゐる時私は不思議に思ふ。君が僕でなく僕が君でないといふことはどういふことであらうか。私は手を伸して相手の頭を触つて見たい。変な顔をして笑つてゐる此の人は私ではないだらうか。
 人はまた同じやうな時間に同じやうな各自の家に帰つて行く。不思議に間違ひなく毎日/\を同じ方向を取り同じ道を行き同じ門口を入りさうして同じ家族の居る家に帰つて行く。さうして当然のやうな顔をして食事をしたり談笑したりしてゐる。不気味な光景である。そんな時はみんな恐ろしい妖気を持つた者に見える。或は妖気に憑かれた亡者のやうに見える。
 人との何でもない日常の対話の中に私は屢々それを感ずる。そんな場合は出来るだけそれを圧える習慣をつけてゐる。
 私は何時も堪えられなくなると何処かへ行きたいと思ふ──どこかまるで違つた世界へ。
 然し現実の世界では何処へ行つて見ても同じやうなものである。私が拙い画を描くのは少年時代に押入の中に入つた気持と同じである。こゝだけは自由でせめて自分の思ひ通りに寝てゐたいのである。賞められても悪く言はれても仕方がないと諦めてゐる。
 だから私のする事は全然無意味で恐らく現実の生きた社会に何の役にも立たないかも知れない。しかし私は私の住みよい世界を造るためには私としての勉強も努力もある。私は現実的な一切の欲望や感情や理性やを切断してその世界で無表情になりたいと思ふ。真空の世界を造りたいと思ふ。さうして人間的な一切を切り捨てたいと思ふ。さうしてそういふ方向に就いて私はもつと直接に純粋になりたいと思ふ。



初出:『文藝春秋』7年12号(1929年12月)pp.51-52
底本:古賀春江文集『写実と空想』(中央公論美術出版)p.199-201
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