古賀春江資料室

洋画家・古賀春江(1895-1933)のデータベースを制作中です。

弱気

 或る有名な学者で謹厳で人格者として世の敬仰篤かつた人が或日どうしたはづみにか銭湯の流し場で足を辷らしてひつくり返つたが、あゝいふ人が裸体でひつくり返つたりした所を見たらどんな感〔じ〕がするだらうか──といふやうな話を何時か読んだ事がある。
 湯屋の流し場でひつくり返る位のことは何かの拍子にありそうな事だし、又それが普通の人間だつたら、さして皆の注意を牽く程のことでもないのだが、それが普通以上に偉い人だつたり或は素晴らしい美人だつたりした場合にはこれは知らぬ顔では済まされない事件で、誰々は風邪で引籠中──など〔と〕いふ文芸消息欄の事件等とは比較にならない大問題である。そういつた尊敬を受けて居る人とか、非常な美人とかいふ、世間の注目を牽いて居る人が、ありそうもない一寸した失敗や滑𥡴な事などをやるといふのは確かに世人の喜ぶ? ことである。
 所で中川紀元氏の場合にも、そういふ事件が一つでもあれば、そうしてあはよく世間が未だそれを知らず私一人が知つてゐて、此所でそのとつて置きの事件を報告することでも出来たならば、私の話は忽ちにして大評判となり読者諸氏を無上に喜ばせることが出来るだらうが、幸か不幸か生憎《あひにく》と我が中川氏にはそういつた失敗談がない。
 それは第一に中川さんは──「氏」より「さん」の方が私には親しめるので中川さんご免なさい──生活の全般に亙つて非常に細心に注意深く慎み深い所があるからである。暫く対談して見ればそれは直ぐに感ぜられることであるけれども、どんな場合にも決して相手の感情を度外視して言動されるといふやうな事がない。傍から見てゐるとカナリ感情的になるやうな場合があつても、何時も自分を殺して相手を立てゝ行かれる所は、私など事毎に感心する所である。関はりの無い第三者の立場でゐられる場合でも、両者の間をうまく円滑に和合さして行くことに驚く程細心で、それはそういふ少しでも尖つた雰囲気の場面に耐えられないといふやうな、実に弱気の頂上である。
 私などは或る場合傍で見て居て大いに歯痒く思ふ時があるが、そうして時々それを云ひ出すのだが、そうすると、「いや、僕だつてそりやア」などゝ一寸強がりを見せられるが結局それはテレ隠しの強がりで其場逃れの偽悪的感情に過ぎないのである。
 こう云へば、では座談なども一向面白くなさそうに聞えるかも知れないが、それが又実に話が愉快で話好きで明るい諧謔とユーモアに豊富なのである。話好きと云へば中川さんは確かに話好きである。そのバスの声の話振りが甚だ愛嬌があつて、一杯やりながらの時などは顔の表情から身振り手振りに至るまで軽妙なるユーモアが溢れるのである。
 そういふ場合の種といふものは大概その日外出先での途上所見で、それが又一種独特の人情味に富んだ観察で特色のあるものである。
 一例を挙ぐればこんなことがあつた。
 或時市内電車の中で中川さんは吊革に摑まつて通路の中程に立つて居た。他にも多勢立つてゐる人達があつたが直ぐ近くに何所かの女学生が四五人ベチヤ/\饒舌りながら矢張り吊革につかまつてゐた。と其所へ粗末な絆天着の労働者が二三人這入つて来て女学生達の傍に立つた。すると今迄喧ましく饒舌つて居た女学生達は急に囀りを止めて眉を顰めながらツイと向ふの離れた方へ移つて行つた。労働者達は勿論故意に女学生等の傍に行つたのではないので恐らく疳に〔#「疳」の横に「癇」〕癪つた〔#「癪」の横に「触」〕ことだらうと思ふ。その中の一人が言つた。「俺達の様なキタナイ奴等が乗るとお嬢さん達が逃げて終はア」「やつぱり今時は洋服でも着て居なきア駄目だぞ。」車内には所謂洋服を着た人達が多勢居たのでその人達が何とか間をとりなして呉れるかと思つて居たが誰も何とも言はずに無表情にキチンと済まして居る。中川さんは困つた。女学生等は勿論癪にさわるし労働者には気の毒だし、そこで「洋服だつてこんな僕等の着て居るやうな代物では話になりませんよ……」笑ひながらそう云つて誰か助けて呉れるかと思つたが援助の言葉は何所からも出なかつた。唯労働者達だけが大声で「アハヽヽヽ」と笑つたそうだ。それにしても其時の女学生等──何所の学校だか知らないが──よ地獄に行け。
 こんな話を聞いてゐると私は中川さんが如何に世間の苦労性であるかを察しられて何だか一面傷はしい気がする。
 中川さんは弱気で謙遜で家庭的でどちらかと言へば引込み主義のやうに思へるが、それは余りに聡明で雋敏で凡ての事柄によく見透しがつくからだと思ふ。だから趣味としての碁や将棋やその他一切の競技的な勝負事は絶対に嫌ひらしい。ダンス位は時々やりたい等〔と〕いふ話も出るがダンスホールなんか華美な晴れがましい気がするらしく結局駄目になるので、蓄音器のレコードも洋楽よりは日本の端唄や義太夫等の人情的なものが枚数が多くなるやうである。仕事を見るとあの通りに積極的に勇敢であるが実生活は仲々弱々しく神経質である。



初出:『アトリヱ』7巻1号(1930年1月)pp.80-82
底本:古賀春江文集『写実と空想』(中央公論美術出版)p.202-204
関連記事
  1. 2014/09/11(木) 22:10:12|
  2. 評論・随筆等
  3. | コメント:0
<<ぼんやりした話 | ホーム | 洋傘─もだん衣裳哲学>>

コメント

コメントの投稿


管理者にだけ表示を許可する