古賀春江資料室

洋画家・古賀春江(1895-1933)のデータベースを制作中です。

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海の夏祭り

 陰湿な欝々とした梅雨がからりと霽れて碧天晴朗、庭先の樹や草の葉が若返り天地更生の季節になると人はみんな海を想ふ。颯爽として清澄なる海辺の風光に牽きつけられる。海水浴場の混雑、新聞や雑誌の写真版はそれ等の海辺に群る若い人々の、殊に若い女人の美しくたくましい水衣の勇姿を掲げて人の感情を煽り立てる。海水浴場の景状は〔#「景」に「ママ」の注記〕新しい時代の夏祭りの賑ひである。
 所でその空想をそのまゝ現実に自ら行つてその光景に接するとこれは又意外な感じを抱かせられる。
 一夏、阪神への旅のあひ間に当時芦屋にゐた友人を訪ねてその友人に案内されて海水浴場に出かけて行つた。勿論│三伏《さんぷく》の酷暑に汽車の中で肉体も精神もへと/\になる程蒸し上げられてゐたので一時も早く水に入りたいといふそれだけの切なる願ひであつたのだが、さてその現場に行つて見て啞然とした。浜の砂地は勿論人で一杯。海は──水際から凡そ三四丁位の所に樽が浮いてそれが砂浜を一辺として三方を囲み、人はその狭い四角の水の中で肩摩剋撃の〔#「剋」の横に「轂」〕有様である。さながら水の銭湯である。而も海は遠浅の砂地なのでたゞ肩先だけを水に浸してゐるといふやうな人が大分あつた。私は一眼見て吃驚して直ぐ今来た熱砂の細道を友人の家まで急いで帰つて来たのである。
 凡ての海水浴場が悉くさうであるかは言へないだらうが海を憧憬するといふ気持よりもむしろ海辺の夏祭りの賑ひを見物に行く気持と言つた方が適切だと思ふ。
 その後一二年を経た夏、同郷の先輩M氏と玄海の北部に突き出てゐる鐘崎といふ漁村に行つて画を描きながら暫く遊んだ事がある。
 そこは田舎の極めて偏鄙な〔#「偏」の横に「辺」〕漁村で普通の海水浴場として知られてゐる所ではないが、その岬の突端は峨々たる巨大な岩石の畳々たる重なりで人丈位の波頭がその黒緑赭黄の色模様のある岩鼻に激して一丈の飛沫をあげるのである。私達は宿からシヤツ一枚になつてその岩の突端まで足場の無い突兀《とつこつ》の岩の頭にかぢりつきながら腹這ふやうにして裏側の方へ出てそこで苦しい足場を見出して波の飛沫を半身に浴びながら向ふに聳ゆる岩壁を描いた。それから毎日そこまで辷つて行つて描いたのであつたが、或日小舟に乗つて岩鼻に来た漁夫が私達の足下の岩に摑まりながら、一体どこからこゝへやつて来たかと不審気に声をかけた。あとで宿に帰つて聞いてみたらあそこへは漁夫でも滅多に行かない所だとその危険なことを話して驚いたやうであつたが私達は決してそんな危険はないと思つて毎日そこへ行つた。画を休む時にはその脚下の紺碧の水の中に飛び込んで揺れもつれつく海藻を押しわけて栄螺《さざゑ》を捕つた。或時は土地の海女達も其所へやつて来て矢張り栄螺やあはびを捕つた。其所の漁夫や海女達の生活こそ実に海の生物そのものであつた。魚貝と倶に生き倶に眠り倶に夢見る生活であつた。殊に海女の肉体は海中の果実の如く豊潤な匂ひを放つ。彼女等の一人がその丸るい青銅色の艷かなる裸体を海辺の砂の上にどかりと据えてやがて後ろへ仰向けに天を仰いで仰臥しながら一休みをする時、その一瞬こそ永遠である。
 都会らしい匂ひの少しも来ない荒海の朝風に洗はれて生きるも死ぬるも海の中、大きな力に触透されて天地麗朗〔#「麗朗」の横に「玲瓏」〕、何か非常な美しく輝くものがあるやうな気がするのである。



初出:『美之國』8巻8号(1932年8月)pp.34-35
底本:古賀春江文集『写実と空想』(中央公論美術出版)p.212-213
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