古賀春江資料室

洋画家・古賀春江(1895-1933)のデータベースを制作中です。

来目洋画展評

         (一)
 目下当地〔久留米市〕商業会議所楼上に於て開催中の第六回来目《らいもく》洋画展覧会出品画に就て、同人諸氏の委嘱を受け茲に禿筆を呵して批評感想の断片を披瀝する心算であるが、既に批評といふ立場に於てはその内容に要求的精神を多分に含むものであるから、多く私一個の、時としては全く作者諸氏の意嚮に反する主張をなすかも知れないが、それは芸術本来の精神の名に於て予め宥恕を乞ふて置き度いのである。
 先づ目録順に見て行く。第一は高田力蔵氏の作品六点である。陳腐と平凡とは芸術といふ言葉の最も広く深い意味に於て致命傷である。氏は賢くも此所に自覚を持ち旧来の写実の皮層を刎ね除けて自身の感情、神経に即して作画する道に行かうとしてゐるが、当然氏の素質の成長的方向であらう。「秋の光景」「慈母像」「監獄の裏」等より「闘鶏図」や「見世物」等に近代人の怪異な感情生活を見るのである。
 松田実氏。熾んなる生命の饗宴者、人類至上の価値に対する愛念を中軸として、氏自身の世界に高踏する荘厳なる殿堂の建設者その常生活に於て見るも、理想する所は、彼の文芸復興期の巨人達が希求したる如き一個の「完人」である美術に対して人生に就いて徹底せる理解を有するターレントである。其の類ひなく真摯にして質実なる追及と研鑚との痕は出品大小二十点の孰れに就いて見るも明らかである。然し画術は一の造型術であるから時に失敗と成功との感は誰れしも免れざる所であらう。「牛の子等」より「厨の一隅」を、またそれよりも「あざみの花」を採る。「すもゝの花」は妥協的な中間性の気弱い人間を圧倒するであらう。「夕栄ゆる野」「時雨の後」「落日」三点は私の最も愛する小品である、私は何等の私心を混ぜず、叡智の練磨が情熱と血と炎とを加へて契機を対象に借り乍らも対象を超えて喨々と響く喇叭の音の如き、この浪漫的な象徴詩を読まう。
 山田武氏。氏に対しては今の場合批評を遠慮したい。
 古賀三郎氏。「曇り日」「静物」に於ては相当に色も調子もついてゐる。他の四点皆一様に丁寧だが、画品が低いのは何故か、氏はこの点に一考を要するであらう。
 三嶋重雄氏。叮寧に微細に正直によく描いてある。然し美術はそれだけでは足りない。「初秋の朝」「枯野」採る。
 上野茂氏。油絵五点凡て器用である中「第三」「第四」を採る。画は勿論「造形」であるから真の意味の計画は必要であるが、それが血の出る程な体験の礎の上に建てられない場合、その計画は単なる計画としてのみ威を逞うして「美」を阻害する。意図する所は明らかに見え乍ら、惜しむ可きである。

         (二)
 小松清次郎氏。画法に就いて或る了解を持つてゐる、美感も善し技法も練達されて理解の透徹せる親切なる画面を作してゐる。三点ともに場中の佳作である。色彩にも筆触にも才気豊かであるが、一歩をあやまれば単なる外面上の趣味に終止して自らその才気に淫して安しとする自慰的邪境に陥る危険性を伴ふものである。
 執行輝彦氏。熱情と表現の大胆さに於て場中の異色である。霊感と専念に於てよく氏独特の美境を表現してゐる。その傍若無人な自己主張的態度には人をして気味悪るがらせる程のものがある。凡常の人間の理性を越えて直接「自然」と面々相接し、人をして芸術の超近代性、超階級性を十分に味得さするものである。旧派、新派は勿論、プロレタリアだのブルヂヨアだのと言ふ言葉が芸術の圏内に迄侵入して来てゐる今日、これは寔に超然として動ぜざる大山の如きものである。私は氏の資質に対して敬意を表すると同時にその不撓の精神を祈つて止まないものである。
 大塚進氏。物体を充分に客観的に如実に観察し表現しやうとする事は写実道の前衛である、而して最も進むに安全なる平坦な道である。今、正直に成心なく、氏は此の道を進めやうとしてゐる行く手に障害は有るまい。然し印象派が起つて所謂官学的写実派は倒壊された。然も─完全にそれは倒された、その因由は何所にあつたか? 贅言を要しまいと思ふ。
 金子恒三郎氏。五点の内「冬枯れ」「風景」を採る。殊に前者のほのかに暖い情調を愛する。「自画像」「戯作」は明らかに「戯作」である。
 上野和久氏。「自画像」「祇園の狗」は未完成である。これは三分の一の出来で仕事はこれからである。「八幡スケツチ」は善いが「画面」を考へずに文字を入れる事は悪るい。
 佐野敏一氏。「午後の櫨畑」「果物」「風景」を採るが惜しい事に色が足りない。「裸体」は氏の作中で一番努力も見え効果も勝れてゐる。殊に胸部は善い。氏には技巧もあり、実に「描けば描ける」のであるが「落日と群像」「山路」などの如き作は甚だ要領を得ない。色彩の相剋、対立、筆触の節奏、それ等は各々の目的の下に集注され支配され、帰順されてのみ色彩であり筆触である可きだ。間々美しき色の隠顕する所もあるが、其れ等も殆ど偶然の成果以上には観えない。美術の法則が厳として例外なく示す如く、こゝには偶然といふ事は一つも許されない。纒りのない歓喜から熱狂的興奮に入つた作としても今少し自由な、それ故に必然な、流動性が見えるであらう。感激のない堕性は動《やや》もすれば偶然を恃むさもしい射倖心への導火線となる。然し私は氏に対し多くを言ふ必要はあるまい。人としての清明正直、或る場合には童心そのまゝの氏は、何も彼も心奥深く了解してゐる筈だ。たゞ茲では聡慧なるその反省を願つておくのみである。
 松田尚鉄氏。二点共に充分の力は見えるが、力が孤立して殆ど「腕力」の如き観がある。美術の本体が微弱だからである。私は嘗て見た「籐椅子に腰掛けてゐる人」を好む。

         (三)
 牛嶋磐雄氏。「壺と林檎」は観者に迫る力を持つてゐるが、その味を今少し狭深に、積極的に表したならば一層の効果を挙げ得たであらう。「春ちやん」にもその味識の柔弱さがある。「はとやの花」よりも「松を透して」を採る。前者は色調に於て失敗してゐるが後者は色も塊も面白い。知解の〔#「知解」に「ママ」の注記〕ある画である。
 古川潤二氏。近来廃れたが、一時「無技巧の技巧」といふ言葉が流行した。云ふ意味は「稚拙の勝利」といふ事である。「稚拙なるが故に」ではなく「稚拙でも」の意であらう。古川氏の作に今この言葉を借りて来る。実に格好である。演繹は省くが、充り〔#「充」に「ママ」の注記〕児童自由画と相共通する質の言葉である。氏は只管《ただ》無心に描いてゐる。青い葉を青く画面の隅から隅まで描いて行く。完全に青く、青くと。近景の山芋畑を越して遠景の森の上に浮く白い雲、人家が淋しく其所にある。これで立派に「画」を作つてゐる。画品も高く味感も充分に有る。「こいぬ」の「動物」が黒い背景の中から明らかに見える。「桜草」にも「草花」が其所に在る。「もみじの芽立」は可憐に美しく、鉢の中から椿の様に立つて無心に赤い葉を光らしてゐる。総体に静かに淋しく少し憂欝に美しく、ありのまゝに表現されてゐるのである。私は其所に心を牽かれる、が同時に又不安なきを得ないのである。何となればこれ等の作品の長所は「その技法の幼稚なるが故に」といふ一事に保留されてゐるものであるからである。而してその幼稚はやがて何時の日か破壊されるであらう。これは画技の歴程に於て当然考へられるべき事である。故に現在の長所は、やがてそれ自身短所となるべき性質を具有する。即ち未来の作品に就いての承知せらるべき破壊の推想を携へての特質だからである。然らば如何なる方面に進路を取れば善いかと考へるに、これは作者自身「自らの拙さの自覚」を持つべきである。この一方を捨てゝ顧みないならば、その道は行き抜けの出来ない袋小路である。然し今は現在は、この儘にて氏として最上であり唯一であるであらう。

         (四)
 然し何時かは氏自身に痛ましい芸術的破綻が生ずるであらう。然しそれは氏にとつて真に慶賀すべき悲劇である。私は愛する氏自身の健闘を祈つて止まないのである。
 太田寛氏。器用な技巧を持ち乍ら、惜むらくは古臭く因襲的で、自然の溌剌生々の気を欠く。見る事、感ずる事、その感関に〔#「関」の横に「官」〕皮覆を〔#「皮」の横に「被」〕被せて外囲の刺戟を遮蔽し安易な受用生活の独善主義は私達の忌むべき事でないであらうか。それは魂の鏡を曇らし、健康と青春の薔薇を酸の如くに蝕む毒汁である。一考を促して勇敢なる飛躍を希ふ。
 国武史郎氏。油絵「秋の山」を採り度い。氏の最も初期の作と聞くが純朴なる制作態度と細心の注意とが、この作の画的効果を挙げたのである。墨画「夏の山」は余りに「墨画」である。
 豊田勝秋氏。ブロンズ花壺はその余りに弱々しく感傷的である事と悪るい趣味はその身振りが少しお芝居じみてゐる事である。
 以上で概略作品の感想を終つたが、最後に私達の展覧会の意味に就て、久留米全市民諸氏に一言述べて相互の理解を深めるの資に供したいと思惟するものであります。
 私達は自身作品の展覧会に依つて、その日常生活に於ける審美的体験の表明を期して、私達自身、及び一般観覧の諸君と共に、各人内心の美意識を高め、純情一心に縁る互の愛念の獲得厚深に努めたいと思ふものであります。出来得べくば美術の内抱する人間美に信頼し、完全なるその感情移入によつて、深く高く生活の実現を理想してゐるより外に亦多くを望むものではありません。
 とりもなほさず、美術は一の宗教であります。私達は一意専心、自然の意志を意志として私達の生活方向を定めたいと覚悟するものでありますから、時に偏狭なる一部の思想と相容れざる観無きにしもあらずでせうが、それは私達各自の向上により時を待つて親善融和さるべきものと信ずるのであります。展覧会も今は最も微力なる生活習作の制作でありますが、諸君もその点特に寛大と理解とに基いて、私達の意の存する所を擁護扶養して頂きたいのであります。
 右の来目洋画会の一員として、本会の隆興成長を祈ると共に、諸君に一言お願ひしておく次第であります。



初出:『筑後新聞』1922年5月
底本:古賀春江文集『写実と空想』(中央公論美術出版)p.230-236
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