古賀春江資料室

洋画家・古賀春江(1895-1933)のデータベースを制作中です。

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仏蘭西現代美術展覧会を観る

 こゝに書くのは展覧会出品の各作品の批評や評論ではありません。私が会場を一順して得たほんの印象記です。従つて何等の連絡も纒りもあるものではありません。最初は可成一一の作品を丁寧に観て行きましたが余りに数が多いので終ひには疲れて眼に止まるものだけに足を止めました。そういふ風なので個々の作品に就いては見落しや見誤りがあることと思ひます。まづ正面の大きな室から入りました。
 ローランサンのものが二点あるのは嬉しいことです。色彩の淡々しい調子と、人物の形態、とぎれ/\に行く背景等匂の高い夢幻境にやさしい女性の魅力を力強く思はせます。「放縦《ほうじゆう》」といふ作より、黒白薄桃色、わづかのコバルトで階調の優れた「提琴弾く女」を好みます。
 デランの前に立つて私は驚きました。何がこゝまで私を強く打つのか! 単純な色彩と無造作な構図──筆触。しかし其の効果は私達の美に憧れる魂を充分に捉へて終ふものです。「白き壺」「オレンヂとパンと白壺」の二点は私の最も好きなものです。卓上の白い壺がニユートラルチントの線で輪郭され、赤褐の机とセピヤ色の背景暗緑の幕、凡て黝んだ調子の中から素晴らしい力が容赦なく観者を叩きつけます。今度の六百点近い作品の中で一番私を魅したものに違ひありません。
 デユフイの三点は元気で大胆な画面を作つて居ます。ヘナヘナの情緒主義などまるで一堪りも〔#「堪」の横に「溜」〕なく吹き飛ばされて終ひます。「入日」といふ真青な丘の家の群と海と朱の太陽とが一見粗暴とも思はれる位に自由に奔放に描けて居ます。こういふ作は日本の画壇には仲々見当たらないものです。
 ピカル・ル・ヅウのでは五十号位の婦人像が一寸好い様に思ひました。背景の灰黒と人物の白い着物、殊に手の描写はいゝと思ひます。風景の諸作は色彩の華麗な割に弱々しいものですが「窓際の女」といふ小品は好かつたと思ひます。室内の桃色の壁と暖い白黄色の外景と、窓際に腰かけた女の赤い上着オルトラマリンのスカート、仲々奇麗に手際よく出来てゐます。
 オツトマンには閉口しました。下らない画面の趣味などがある為めに、そしてそれを相等に描出する器用さがあるためにこの人の画は嫌気がさします。風船を挙げてゐる女の大作など愚劣極まるものと思ひます。
 ルパスク、マンギヤン、この人達は印象派の光線などにとらはれて少し不自由してゐます。後者の大作「足そゝぐ女」は失敗の作でせう。「花」はいゝと思ひます。
 オルテイスといふ人のは盛に太い黒線を用ゐて物象を締めくゝつてありますがその割に力がありません。
 アスランのものでは「アネモネとデージー」といふ小品を挙げたいと思ひます。この作者のものは油絵よりも水彩にいゝ味感を感じます。「堤」「小舟」「コンカルノオ」など、それ/″\簡約された細線の中に淡彩を施した静かな作です。
 それから水彩画の室ですが凡て自由な暢々した気持で描かれてあるのは日本の水彩画展覧会の空気と可なり違つたものです。中には随分まづい作品もあるやうに見えましたが、水彩と云はず油絵と云はず、総じて腹の底からの自由さで各作家が銘々の仕事をしてゐる事は矢張り大きな底の知れない晴々しさを与えます。
 ブラマンクの水彩は油絵と同じく随分達者に元気で色彩も強く好い効果を挙げてゐます。
 デスパニヤの作は奇麗で可愛く、トリユフオはボデイカラになりそうでゐて重々しい感じから切り抜けてゐます。市街の雑鬧を描いた「巴里ロアイエル街」はうまいものです。
 シニヤツクの水彩は一一の色が美しくてバラ/\のやうですが画面の落ち付きがあつていゝものです。
 ルドンの作品は不思議な感銘を与えるものです。画面構成の意識が表面に出ないで感情が深い所から私達に話しかけます。それは甚だ時とすると独りよがりの独語ですがそれに耳をかさないで通り過ぎる事は出来ません。それはむしろ摑み所のない断片的な空想ですが細く鋭いその内容の力が直接私達の魂に囁きます。
 ラプラードは思つてゐたよりずつとよかつたので驚きました。油も水彩も共に好きです。水彩の「花つむ子供等」や「ポプラ」の小品は殊に淡淡しい感じの風景で淋しく一味の哀感を湛えてゐます。油の小品「ユー島」は開かれたる扉の室内から海と前景に船の帆を出したもので無造作の中にいゝ味ひを感じさせます。色彩は凡て不透明でやゝもすると余りに孱弱《かよは》い筆ですがその中から涼しい爽やかな感情が溢れてゐます。
 ブラマンクの油絵はどれも意欲の熾んな、対象を征服せねば止まない例にない程な勇気と精力を思はせる作です。パレツトナイフと筆が遠慮なく奔放に使用してありますがそれが実に些の無駄もなく要領を得てゐます。白と黒の効果が際立つて勝れてゐます。しかし受感が立体的であるのに関はらず衝いて来るものは案外平板的なものです。
 ボナールはモヤ/\の緑の樹立など描いてゐますがどうも私には親しめません。
 マチスは三点ありますが矢張り図抜けてゐます。「白衣の女」が中で一番好きなものです。何でもなく描いてゐるやうで実は造形の妙を極めたものです。技巧も充分それを表現し得てゐます。こゝまで来れば自由も不自由もない、生活即芸術の至上境でせう。
 ル・シダネルとコストは印象派系の作家ですが少し粗いやうです。
 コツテの作では渋い調子の黒衣の女二人を入れた「ブルターニュの女」が一番勝れてゐます。
 デスパニヤの作中ではボタ/\の「花」や「裸体」より躑躅《つつぢ》の花のある大きな静物「花と果実」なんか一番いゝやうです。
 ドニやカリエールには感心出来ません。前者のものでは色の落ち付いた「浜辺の子等」がいゝやうです。其他ルノアールもセザンヌも今度来てゐるのは下らないものです。マイヨールのデツサンも微弱だし、ロダンも今度のでは彫刻よりデツサンの方が面白いと思ひます。
 ピサロの一点は仲々丁寧に描いてあります。然しこの人が嘗て印象派の大立物として後進の多くに仰がれたのかと思ふと何か淋しい気がします。その年月が感ぜられます。
 カモアンは大小二十点ありますが皆相等に面白いものです。色が美しく軽く達者に描けてゐます。何よりも自由な気持がいゝと思ひます。「ひる寝」「美しき田舎娘」の大作共にいゝ効果を与えます。
 フランドランのは静物に面白いのがあります。「人形」は中で一番いゝと思ひます。
 紙数が大分予定より超過しそうですから急ぎます。
 マルクエの一点は好いものですがこの人のとして少し飽き足りません。ゲランは一向好きになれませんが、デユフレーヌの大作二点は素晴しいものです。大きな黒線と茶と黒緑と赤とコバルトなどの色彩が一種物凄い程なコンポジシヨンを作つてゐます。ゴーガンの版画は仲々面白くこの人の油絵よりも或はよくはないかと思ひます。
 それから立体派の作が五六点、エルバン、グリイス、セヴエリニー等の水彩やグアツシユのものがありますが少し様式化されてゐて生々した感じに乏しく物足りません。エルバンは堅く寒く、グリイスの木炭画の静物が一番いゝやうです。ド・ウエロキエの唐紙のやうな紙に描いた南画のやうなものも試みに終つてゐるやうです。メツチンガーの風景も少し窮屈を感じます。
 最後にピカソが三点、中一点は旅芸人の二人が立つてゐる石版画です。確かな素描と色彩を示してゐます。二点の油絵は実に不思議な画面の効果を出してゐます。物質に対する作者の鋭感がその素晴しい画面形成の術と一致して譬へがたない〔#「た」に「ママ」の注記〕力を以て観る者の心をゆすぶります。構成の美の意識が隅隅まで漲り亘つてゐます。
 以上はほんの概略の感じのみで一向纒りのない話です。各々異つた全体の作品の感じをそれ/″\に受けはしましたが矢張り勝れていゝものは二三の作家で、他は大体に於てさまで私達を牽きつけるものではありません。数多い作品の中では随分ひどいものもあるやうです。只その自由な空気が嬉しいと思ひました。 (一二、四、一〇)



初出:『みづゑ』219号(1923年5月)pp.12-14
底本:古賀春江文集『写実と空想』(中央公論美術出版)p.237-241
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  1. 2013/12/27(金) 02:37:27|
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